・・・はじめから理において勝つべき根拠を失っていて、三宅正太郎によってさえも悪法として警戒されていた治安維持法は、過去十数年間の日本から、知性を殺戮しつくしたのであった。そのあまりの無法さは、直接その刃の下におかれた人々の正気を狂わせたし、その光・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・ 同じ時、三宅雪嶺という哲学者が博士号をもらってうけた。ことわるほどのものでもなかろう、と笑って受けて、腹が大きいとかほめたものもあった。この雪嶺は、国粋主義者で、中野正剛を婿にした。これもことわるほどの者でもなかろう、というわけだった・・・ 宮本百合子 「行為の価値」
・・・ 解答者は三宅やす子、山田わか子というような人です。そこにこの間、次のような相談が出された。 酌婦生活をやめたい あなたの決心さえ堅ければ、つまりそういう生活を断然やめたいという決心がつくならば、今の主人によく気持ちを打ち明・・・ 宮本百合子 「「市の無料産院」と「身の上相談」」
・・・ 昔、三宅やす子という文筆家があった。理学博士の夫人であったが、良人の死後、自分が未亡人という名で扱われることに抗議して未亡人論を書いた。封建のしきたりによって、社会的に活動しようとする婦人まで、良人の死後は「未だ亡くならない人」と・・・ 宮本百合子 「世界の寡婦」
・・・ 今度だって貴女、変な若い男と何だかで、それを又、雑誌に告白し駄目にしてしまったんですもの。三宅「そう云う風に、くらりと告白し、雑誌の方の打算なしにおやりになってしまうところが一寸変って居ますわね。ね、一寸出来ませんわね、」西「・・・ 宮本百合子 「一九二三年冬」
・・・┌そうでないかと思うと┤ 三宅やす――つや子とのような親娘二人でおしゃれし 同性の 男性に対する同伴者となるようなもの└ 津田敏子と娘のようなの 本当の母娘関係少し。 京言葉「なあ、へ ×はん」・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
・・・ 甲府の渡辺貴代子氏来罹災民への衣類寄附の為、三宅やす子、奥むめおその他と集ってしようと云う。主旨賛成、但、彼女の粗野なべらんめえ口調にはほとほと参ってしまった。 二十八日 英男縫いものの材料としてまとめて置いたぼろを持って・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・確か大正十一年の夏と思う。山川菊栄などが実際の発起者で、与謝野晶子、埴原久和代、其の他多勢とロシヤ飢饉救済会の仕事をした。一九二三年関東大震災の被害は直接は受けなかった。三宅やす子の『ウーマンカレント』を中心とし・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ 前後のいきさつ、A、「今月は伸子が二つも三つも小説を書いたから大変やりくりに都合がいい」 三宅坂、赤坂見つけの桜 大正博覧会 Prince of Wells 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(一)」
・・・それは、明治二十何年という時代、三宅花圃、田沢稲舟などという婦人が、短篇小説を当時の文芸倶楽部にのせた時、出版書店は御礼として半衿一かけずつを呈上したということである。 現在、壮年になっている作家たちが、他の職業にたずさわる同年輩の男の・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
出典:青空文庫