・・・「元来僕はね、一度友達に図星を指されたことがあるんだが、放浪、家をなさないという質に生まれついているらしいんです。その友達というのは手相を見る男で、それも西洋流の手相を見る男で、僕の手相を見たとき、君の手にはソロモンの十字架がある。それ・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・むずかしく言えば一種霊活な批評眼を備えていた人、ありていに言えば天稟の直覚力が鋭利である上に、郷党が不思議がればいよいよ自分もよけいに人の気質、人の運命などに注意して見るようになり、それがおもしろくなり、自慢になり、ついに熟練になったのであ・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・色情めいた恋愛の陶酔は数経験するであろうが、深みと質とにおいて、より貴重なものを経験せずに逸するなら、賢く生きたともいえまい。深い心境を経験しないですますことは、歓楽を逃がすより、人生において、より惜しいことだからだ。そして夫婦別れごとに金・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・という根本的な方針が、既に、一年前に確立され、質的飛躍の第一歩がふみだされているとき、工場労働者とはちがった特殊な生活条件、地理環境、習慣、保守性等を持った農民、そして、それらのいろいろな条件に支配される農民の欲求や感情や、感覚などを、プロ・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
・・・云われているものの、本は云わば職人で、その職人だった頃には一通りでは無い貧苦と戦ってきた幾年の間を浮世とやり合って、よく搦手を守りおおさせたいわゆるオカミサンであったのであるし、それに元来が古風実体な質で、身なり髪かたちも余り気にせぬので、・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ 其実体には固より終始もなく生滅もなき筈である、左れど実体の両面たる物質と勢力とが構成し仮現する千差万別・無量無限の個々の形体に至っては、常住なものは決してない、彼等既に始めが有る、必ず終りが無ければならぬ、形成されし者、必ず破壊されね・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・あれなぞをこう比べて見ると、北村君の行き方は、一度ある題目を捉えると容易にそれを放擲して了うという質の人では無い、何度も何度も心の中で繰り返されて、それが筆に上る度に、段々作物の味が深くなってゆくという感じがする。『富嶽の詩神を懐ふ』という・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
海の岸辺に緑なす樫の木、その樫の木に黄金の細き鎖のむすばれて ―プウシキン― 私は子供のときには、余り質のいい方ではなかった。女中をいじめた。私は、のろくさいことは嫌いで、それゆえ、のろくさい女中を殊にも・・・ 太宰治 「黄金風景」
・・・形態的には蜂の子やまた蚕とも、それほどひどくちがって特別に先験的に憎むべく、いやしむべき素質を具備しているわけではないのである。それどころか、かれらが人間から軽侮される生活そのものが、実は人間にとって意外な祝福をもたらす所以になるのである。・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
・・・お絹は二人を迎えたが、母親とはまた違って、もっときゃしゃな体の持主で、感じも瀟洒だったけれど、お客にお上手なんか言えない質であることは同じで、もう母親のように大様に構えていたのでは、滅亡するよりほかはないので、いろいろ苦労した果てに細かいこ・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫