・・・このとき、少年は、疲れた足を引きずりながら、まだ家の内には、燈火もついていない、むさくるしい傍の軒の低い家の前にさしかかりますと、つばめが三羽、家の内から、外の往来に飛び出しました。それと同時に、ブーンといって、バイオリンの糸の鳴り音がきこ・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・ことにこの盲人はそのむさくるしい姿に反映してどことなく人品の高いところがあるので、なおさら自分の心を動かした、恐らく聴いている他の人々も同感であったろうと思う。その吹き出づる哀楽の曲は彼が運命拙なき身の上の旧歓今悲を語るがごとくに人々は感じ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・先生のような清潔好きな人が、よくこのむさくるしい炉辺に坐って平気で煙草が喫めると思われる程だ。 高瀬の来たことを聞いて、逢いに来た町の青年もあった。どうしてこんな田舎へ来てくれたかなどと、挨拶も如才ない。今度の奥さんはミッション・スクウ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・、浅草の、或る料理屋に夫婦ともに住込みの奉公をはじめまして、まあ人並に浮き沈みの苦労をして、すこし蓄えも出来ましたので、いまのあの中野の駅ちかくに、昭和十一年でしたか、六畳一間に狭い土間附きのまことにむさくるしい小さい家を借りまして、一度の・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・火がないので、真黒にむさくるしいストーブを見ながら、頬杖をついて、私はもう随分さっきから置いてきぼりにされた様な様子をして居る。 この頃漸々、学校の休になって、長い間かかって居たものを二三日前に書きあげたけれ共、それにつける丁度いい題に・・・ 宮本百合子 「草の根元」
・・・ そちらで着物はもう冬着ではむさくるしいでしょうか、まだ袷は早いかしら、夜具も、うすいのをこしらえてお送りいたしましょう、夜具は五月に入ってからでもよかろうと思います。スエ子のハガキ御覧になりましたか? では又。御元気で。[・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ ――――――――――――「はなはだむさくるしい所で」と言いつつ、道翹は閭を厨のうちに連れ込んだ。 ここは湯気が一ぱい籠もっていて、にわかにはいって見ると、しかと物を見定めることも出来ぬくらいである。その灰色の中に大・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
出典:青空文庫