・・・が、兄は眼を伏せたまま、むっつり佇んでいるだけだった。「慎太郎。お前は兄さんじゃないか? 弟を相手に喧嘩なんぞして、何がお前は面白いんだえ?」 母にこう叱られると、兄はさすがに震え声だったが、それでも突かかるように返事をした。「・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・モデルはきょうはいつもよりは一層むっつりしているらしかった。わたしはいよいよ彼女の体に野蛮な力を感じ出した。のみならず彼女の腋の下や何かにあるにおいも感じ出した。そのはちょっと黒色人種の皮膚の臭気に近いものだった。「君はどこで生まれたの・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・互にむっつり黙ったまま、麦とすれすれに歩いて行った。しかしその麦畑の隅の、土手の築いてある側へ来ると、金三は急に良平の方へ笑い顔を振り向けながら、足もとの畦を指して見せた。「こう、ここだよ。」 良平もそう云われた時にはすっかり不機嫌・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・亀のようにむっつりとしていた男が見ちがえるほど陽気になって、さかんにむだな冗談口を叩く。少しお饒舌を慎んだ方が軽薄に見えずに済むだろうと思われるくらいである。のべつ幕なしにしゃべっている。若い身空で最近は講演もするということだ。あれほどの病・・・ 織田作之助 「道」
・・・むしろ、むっつりして、これで遊べば滅茶苦茶に羽目を外す男だとは見えなかった。 割合熱心に習ったので、四、五日すると柳吉は西瓜を切る要領など覚えた。種吉はちょうど氏神の祭で例年通りお渡りの人足に雇われたのを機会に、手を引いた。帰りしな、林・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 二人は、そういう顔を見られたくなかったので、黙ってむっつりしていた。 ……汽車が動き出した。 窓からのぞいていた顔はすぐ引っ込んでしまった。 二人は、今まで押し怺えていた泣けそうなものが、一時に顔面に溢れて来るのをどうする・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・ 予備大佐はむっつりとものを云う重々しい感じの、田舎では一寸見たことのない人だった。奥さんは一見して、しっかり者だった。言葉使いがはきはきしていた。初対面の時、じいさんとばあさんとは、相手の七むずかしい口上に、どう応酬していゝか途方に暮・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・方をしくじったとかで、かなりの欠損になり、夫も多額の借金を背負い、その後仕末のために、ぼんやり毎日、家を出て、夕方くたびれ切ったような姿で帰宅し、以前から無口のお方でありましたが、その頃からいっそう、むっつり押し黙って、そうして出版の欠損の・・・ 太宰治 「おさん」
・・・蒼黒い両頬が桃の実のようにむっつりふくれた。彼はそれを酒ぶとりであると言って、こうからだが太って来ると、いよいよ危いのだ、と小声で附け加えた。私は日ましに彼と仲良くなった。なぜ私は、こんな男から逃げ出さずに、かえって親密になっていったのか。・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・だが其兄とさえ昵まぬ太十だから、どっちかといえばむっつりとした女房は実際こそっぱい間柄であった。孰れの村落へ行っても人は皆悪戯半分に瞽女を弄ぼうとする。瞽女もそれを知らないのではない。然し彼等は其僅少な金銭の為に節操を穢しつつある。瞽女でも・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫