・・・あんまりじさまの浮むっとしたような慓悍な三十台の男の声がした。そしてしばらくしんとした。(雀百まで踊り忘さっきの女らしい細い声が取りなした。(女またその慓悍な声が刺すように云った。そしてまたしんとした。そして心配そうな息をこくりとの・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・みんなは町の祭りのときのガスのようなにおいの、むっとするねむの河原を急いで抜けて、いつものさいかち淵に着きました。すっかり夏のような立派な雲の峰が東でむくむく盛りあがり、さいかちの木は青く光って見えました。 みんな急いで着物をぬいで淵の・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ ぼくらは、蝉が雨のように鳴いているいつもの松林を通って、それから、祭のときの瓦斯のような匂のむっとする、ねむの河原を急いで抜けて、いつものさいかち淵に行った。今日なら、もうほんとうに立派な雲の峰が、東でむくむく盛りあがり、みみずくの頭・・・ 宮沢賢治 「さいかち淵」
・・・私はむっとしてしまいました。「あんまり訳がわからないな、ものと云うものはそんなに何でもかでも何かにしなけぁいけないもんじゃないんだよ。そんなことおれよりおまえたちがもっとよくわかってそうなもんじゃないか。」 すると波はすこしたじろい・・・ 宮沢賢治 「サガレンと八月」
・・・ 彼は、さっきれんが一年にたった一度のクリスマスと云った口調を、その節まで思い出してむっとした。「僕やお前が若いと思ってちび扱いにするんだ。代りなんかいくらでもあるよ。――僕だって先刻まで其那気はなかったんだが――」 彼女は寝台・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・批評家中野好夫は、林の僭越さにむっとしたからこそ沈黙をもって答えたのだったろう。しかし、読者としては、中野好夫が沈黙で答えたもう一つの理由も感じとられなくはなかった。中野好夫の場合にも、前にふれた二人の作家と同じように、私小説と私小説的リア・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・ 母親は、むっとした顔でそっぽを向き瞬きを繁くしている。―― やがて袖をさぐってハンケチを出しながら泣き出した。しかしそれは、自分がわるかったとさとって流している涙でないことは、犇と私に分るのであった。 母親が帰ってゆくと、・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 息もつまりそうにうっそうと茂ったエルムの梢を、そよりとも動かす微風もなくて、静かに横わった湖水から、彼岸の山にかけて、むっとした息のような霞が掛って居る。何時とはなく肌がしめるような部屋で机に倚りながら、東京ももうさぞ暑い事だろうなと・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・ 聞いて居る自分、うるさくなりむっとした心持になる。 アンマの木村 六十九歳、 若いうち、いろんな渡世をし、経師や、料理番、養蚕の教師、アンマ、など。 冬、赤いメンネルのしゃつをき、自分でぬいものをもする・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・空気はむっとするようで、濃くなっているような心持がする。誰がなんの夢を見るのか、われ知らずうめく声が聞える。外では鐸の音がの鳴くように聞える。 フィンクはなんとか返事をしなくてはならないような心持がした。「わたしは病気ではないのです・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫