『何か面白い事はないか?』『俺は昨夜火星に行って来た』『そうかえ』『真個に行って来たよ』『面白いものでもあったか?』『芝居を見たんだ』『そうか。日本なら「冥途の飛脚」だが、火星じゃ「天上の飛脚」でも演るんだろう?・・・ 石川啄木 「火星の芝居」
・・・ 一足進むと、歩くに連れ、身の動くに従うて、颯と揺れ、溌と散って、星一ツ一ツ鳴るかとばかり、白銀黄金、水晶、珊瑚珠、透間もなく鎧うたるが、月に照添うに露違わず、されば冥土の色ならず、真珠の流を渡ると覚えて、立花は目が覚めたようになって、・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・一度冥途をってからは、仏教に親んで参禅もしたと聞く。――小母さんは寺子屋時代から、小僧の父親とは手習傍輩で、そう毎々でもないが、時々は往来をする。何ぞの用で、小僧も使いに遣られて、煎餅も貰えば、小母さんの易をトる七星を刺繍した黒い幕を張った・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・初の烏 はあ、紳士 俺の旅行は、冥土の旅のごときものじゃ。昔から、事が、こういう事が起って、それが破滅に近づく時は、誰もするわ。平凡な手段じゃ。通例過ぎる遣方じゃが、せんという事には行かなかった。今云うた冥土の旅を、可厭じゃと思うて・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ それを、しかも松の枝に引掛けて、――名古屋の客が待っていた。冥途の首途を導くようじゃありませんか、五月闇に、その白提灯を、ぼっと松林の中に、という。……成程、もの寂しさは、もの寂しい…… 話はちょっと前後した――うぐい亭では、座つ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・とでも冥土から端書が来る処だった。 緑雨の眼と唇辺に泛べる“Sneer”の表情は天下一品であった。能く見ると余り好い男振ではなかったが、この“Sneer”が髯のない細面に漲ると俄に活き活きと引立って来て、人に由ては小憎らしくも思い、気障・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・す幾春秋 賢妻生きて灑ぐ熱心血 名父死して留む枯髑髏 早く猩奴名姓を冒すを知らば 応に犬子仇讐を拝する無かるべし 宝珠是れ長く埋没すべけん 夜々精光斗牛を射る 雛衣満袖啼痕血痕に和す 冥途敢て忘れん阿郎の恩を 宝刀を掣将つて・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・やがて冥途とやらへ行って、いや、そこでもだまって微笑むのみ、誰にも言うな。あざむけ、あざむけ、巧みにあざむけ、神より上手にあざむけ、あざむけ。 もののみごとにだまされ給え。人、七度の七十倍ほどだまされてからでなければ、まことの愛の微・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・左れば生者が死者に対して情を尽すは言うまでもなく、懐旧の恨は天長地久も啻ならず、此恨綿々絶ゆる期なしと雖も、冥土人間既に処を殊にすれば、旧を懐うの人情を以て今に処するの人事を妨ぐ可らず。一瞥心機を転じて身外の万物を忘れ、其旧を棄てゝ新惟れ謀・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 不幸な old maid の典型。 八重の心持 ○この人が来たので八重、家のことをちっとも仕ないでよいようになった。が、其は勿論よろこびではない。老人達が自分をたよりにしてくれないことの淋しさ。しかしいざとなれ・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
出典:青空文庫