・・・などと言えば、香具師めくが、やはりここはあくまでこの言葉でなくてはならぬ。それほど、なにからなにまで香具師の流儀だったのだ。 だいいち、服装からして違う。随分凝ったもんだ。一行三人いずれも白い帷子を着て、おまけに背中には「南無妙法蓮華経・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・随分通ったものである、というのも阿呆くさいほど今更めく。といっても、もともと遊び好きだった訳でもなかったのだ。 親の代からの印刷業で、日がな一日油とインキに染って、こつこつ活字を拾うことだけを仕事にして、ミルクホール一軒覗きもしなかった・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ 休憩の時間が来たとき私は離れた席にいる友達に目めくばせをして人びとの肩の間を屋外に出た。その時間私とその友達とは音楽に何の批評をするでもなく黙り合って煙草を吸うのだったが、いつの間にか私達の間できまりになってしまった各々の孤独というこ・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
・・・食事の箸を止めながら、耳に注意をあつめる科で、行一は妻にめくばせする。クックッと含み笑いをしていたが、「雀よ。パンの屑を屋根へ蒔いといたんですの」 その音がし始めると、信子は仕事の手を止めて二階へ上り、抜き足差し足で明り障子へ嵌めた・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・九月七日――「昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を払いつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるるとき林影一時に煌めく、――」 これが今の武蔵野の秋の初めである。林はまだ夏の緑のそのままでありながら空模様が夏とまったく変わってきて雨雲の・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・寺田寅彦さんと云う方は御座らぬかとわめくボーイの濁声うるさければ黙って居けるがあまりに呼び立つる故オイ何んだと起き上がれば貴方ですかと怪訝顔なるも気の毒なり。何ぞと言葉を和らげて聞けば、上等室の苅谷さんからこれを貴方へ、と差出す紙包あくれば・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・来るに来所なく去るに去所を知らずと云うと禅語めくが、余はどの路を通って「塔」に着したかまたいかなる町を横ぎって吾家に帰ったかいまだに判然しない。どう考えても思い出せぬ。ただ「塔」を見物しただけはたしかである。「塔」その物の光景は今でもありあ・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・と、西宮は小万にめくばせして、「お梅どん、帽子と外套を持ッて来るんだ。平田のもだよ。人車は来てるだろうな」「もうさッきから待ッてますよ」 お梅は二客の外套帽子を取りに小万の部屋へ走ッて行った。「平田さん」と、小万は平田の傍へ寄り・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・南方風な瞼のきれ工合に特徴があるばかりでなく、その眼の動き、眼光が、ひとくちに云えば極めて精悍であるが、この人の男らしいユーモアが何かの折、その眼の中に愛嬌となって閃めくとき、内奥にある温かさの全幅が実に真率に表現される。それに、熱中して物・・・ 宮本百合子 「熱き茶色」
・・・少し田舎めくが素朴な故意とらしくないところが。 新来のマークは、仔犬に共通のやかましいクンクン泣きを、兎に角昼間は余りしなかった。母犬には前から離れて居たのだろう。 私共は、彼の為にみかん箱の寝所を拵え、フランネルのくすんだ水色で背・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
出典:青空文庫