・・・実際またそうでもしなければ、残金二百円云々は空文に了るほかはなかったのでしょう、何しろ半之丞は妻子は勿論、親戚さえ一人もなかったのですから。 当時の三百円は大金だったでしょう。少くとも田舎大工の半之丞には大金だったのに違いありません。半・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・薔薇の匂、砂の湿り、――一切は翼のある天使たちが、「人の女子の美しきを見て、」妻を求めに降って来た、古代の日の暮のように平和だった。「やはり十字架の御威光の前には、穢らわしい日本の霊の力も、勝利を占める事はむずかしいと見える。しかし昨夜・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・大友雄吉も妻子と一しょに三畳の二階を借りている。松本法城も――松本法城は結婚以来少し楽に暮らしているかも知れない。しかしついこの間まではやはり焼鳥屋へ出入していた。……「Appearances are deceitful ですかね。」・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・ 根雪になると彼れは妻子を残して木樵に出かけた。マッカリヌプリの麓の払下官林に入りこんで彼れは骨身を惜まず働いた。雪が解けかかると彼れは岩内に出て鰊場稼ぎをした。そして山の雪が解けてしまう頃に、彼れは雪焼けと潮焼けで真黒になって帰って来・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・じつにかの日本のすべての女子が、明治新社会の形成をまったく男子の手に委ねた結果として、過去四十年の間一に男子の奴隷として規定、訓練され、しかもそれに満足――すくなくともそれに抗弁する理由を知らずにいるごとく、我々青年もまた同じ理由によって、・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・「村の方へ走ったで、留守は、女子供だ。相談ぶつでもねえで、すぐ引返して、しめた事よ。お前らと、己とで、河童に劫されたでは、うつむけにも仰向けにも、この顔さ立ちっこねえ処だったぞ、やあ。」「そうだ、そうだ。いい事をした。――畜生、もう・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・その肩にたれつつ、みどり児の頸を蔽う優しき黒髪は、いかなる女子のか、活髪をそのままに植えてある。…… われら町人の爺媼の風説であろうが、矯曇弥の呪詛の押絵は、城中の奥のうち、御台、正室ではなく、かえって当時の、側室、愛妾の手に成ったのだ・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・余事はともかく、第一に君は二年も三年も妻子に離れておって平気なことである。そういえば君は、「何が平気なもんか、万里異境にある旅情のさびしさは君にはわからぬ」などいうだろうけれど、僕から見ればよくよくやむを得ぬという事情があるでもなく、二年も・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・勿論世間に茶の湯の宗匠というものはいくらもある。女子供や隠居老人などが、らちもなき手真似をやって居るものは、固より数限りなくある、乍併之れらが到底、真の茶趣味を談ずるに足らぬは云うまでもない、それで世間一般から、茶の湯というものが、どう・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・ おとよさんの行為は女子に最も卑しむべき多情の汚行といわれても立派な弁解は無論できない。しかしよくその心事に立ち入って見れば、憐むべき同情すべきもの多きを見るのである。 おとよさんが隣に嫁入ったについては例の媒妁の虚偽に誤られた。お・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
出典:青空文庫