・・・みつづけける吹風の目にこそ見えぬ神々は此天地にかむづまります独楽たのしみは戎夷よろこぶ世の中に皇国忘れぬ人を見るときたのしみは鈴屋大人の後に生れその御諭をうくる思ふ時赤心報国国・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・しかしそこらにいた男どもがその若い馬士をからかう所を聞くと、お前は十銭のただもうけをしたというようにいうて、駄賃が高過ぎるという事を暗に諷していたらしかった。それから女主人は余に向いて蕨餅を食うかと尋ねるから、余は蕨餅は食わぬが茱萸はないか・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・陽炎や名も知らぬ虫の白き飛ぶ橋なくて日暮れんとする春の水罌粟の花まがきすべくもあらぬかなのごときは古文より来たるもの、春の水背戸に田つくらんとぞ思ふ白蓮を剪らんとぞ思ふ僧のさま この「とぞ思ふ」と・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 霧の粒はだんだん小さく小さくなって、いまはもう、うすい乳いろのけむりに変わり、草や木の水を吸いあげる音は、あっちにもこっちにも忙しく聞こえだしました。さすがの歩哨もとうとうねむさにふらっとします。 二疋の蟻の子供らが、手をひいて、・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・雲がいよいよ近くなり、捨身菩薩のおからだは、十丈ばかりに見えそのかがやく左手がこっちへ招くように伸びたと思ふと、俄に何とも云えないいいかおりがそこらいちめんにして、もうその紫の雲も疾翔大力の姿も見えませんでした。ただその澄み切った桔梗いろの・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・という、あすこいらの表現の緊めかたでもう少しの奥行が与えられたのではなかろうかと思う。特に、最後の場面で再び女万歳師となったおふみ、芳太郎のかけ合いで終る、あのところが、私には実にもう一歩いき進んだ表現をとのぞまれた。このところは、恐らく溝・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・れたる心我はうれしきそぼぬれし雄鳥のふと身ぶるひて 空を見あぐる秋雨の日よ秋の日をホロ/\と散る病葉の たゞその名のみなつかしきかな気まぐれに紅の小布をはぬひつゝ お染を思ふうす青き日よ泣きつかれうるむ乙女・・・ 宮本百合子 「短歌習作」
・・・人々は互いに今日の売買の事、もうけの事などを話し合っている。彼らはまた穀類の出来不出来の評判を尋ね合っている。気候が青物には申し分ないが、小麦には少し湿っているとの事。 この時突然、店の庭先で太鼓がとどろいた、とんと物にかまわぬ人のほか・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
木村は官吏である。 ある日いつもの通りに、午前六時に目を醒ました。夏の初めである。もう外は明るくなっているが、女中が遠慮してこの間だけは雨戸を開けずに置く。蚊の外に小さく燃えているランプの光で、独寝の閨が寂しく見えている。 器・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・しかしきょうはもう廃す気になっていた。「いや。もうこのくらいで御免を蒙りましょう。」わざと丁寧にこう云って、相手は溝端からちょっと高い街道にあがった。「そんな法はねえ。そりゃあ卑怯だ。おれはまるで馬鹿にされたようなものだ。銭は手めえ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
出典:青空文庫