・・・愛づらしと吾が思ふきみは秋山の初もみぢ葉に似てこそありつれ これは万葉の一歌人の歌だ。汝らの美しき娘たちを花にたとえ、紅葉に比べていつくしめ。好奇と性慾とが生物学的人間としての青年たちにひそんでいることを誰が知らぬ者・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・かなり魅惑のある恵子が、カフェーの女であるということから受ける当然の事について気をもみだした、それが最初であった。彼はそういう女がいろいろゆがんだ筋道を通ってゆきがちなのを知っていた。その考えが少しでも好意を感じている恵子に来たとき、「ちょ・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・私はひとりで手をもみながら、三郎をも迎えた。「三人育てるも、四人育てるも、世話する身には同じことだ。」 と、末子を迎えた時と同じようなことを言った。それからの私は、茶の間にいる末子のよく見えるようなところで、二階の梯子段をのぼったり・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・私たちなら蜂一匹だって、ふところへはいったら、七転八倒の大騒ぎを演ぜざるを得ないのに、この将軍は、敵の大部隊を全部ふところにいれて、これでよし、と言っている。もみつぶしてしまうつもりであったろうか。天王山は諸所方々に移転した。何だってまた天・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・暗緑色に濁った濤は砂浜を洗うて打ち上がった藻草をもみ砕こうとする。夥しく上がった海月が五色の真砂の上に光っているのは美しい。 寛げた寝衣の胸に吹き入るしぶきに身顫いをしてふと台場の方を見ると、波打際にしゃがんでいる人影が潮霧の中にぼんや・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・私の指先でもみ拡げられた穴にもその形の痕跡だけはちゃんと残っているが、穴の直径が二、三割くらいは大きくなって、穴の周辺が毛ば立ち汚れている。 もう一人の車掌もやって来て、同じ切符にもう一つ穴をあけた。「私のはこれですからね」と云って私の・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・祖母も母も姉も伯母もみんな口をあいて笑うと赤いくちびるの奥に黒耀石を刻んだように漆黒な歯並みが現われた。そうしてまたみんな申し合わせたように眉毛をきれいに剃り落としてそのあとに藍色の影がただよっていた。まだ二十歳にも足らないような女で眉を落・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・しかし日本の土地が言わば大陸の辺縁のもみ砕かれた破片であることには疑いないようである。このことは日本の地質構造、従ってそれに支配され影響された地形的構造の複雑多様なこと、錯雑の規模の細かいことと密接に連関している。実際日本の地質図を開いてそ・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ ぱっと塔のねもとからまっかな雲が八方にほとばしりわき上がったと思うと、塔の十二階は三四片に折れ曲がった折れ線になり、次の瞬間には粉々にもみ砕かれたようになって、そうして目に見えぬ漏斗から紅殻色の灰でも落とすようにずるずると直下に堆積し・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・ 与謝野晶子さんがまだ鳳晶子といわれた頃、「やははだの熱き血潮にふれもみで」の一首に世を驚したのは千駄ヶ谷の新居ではなかった歟。国木田独歩がその名篇『武蔵野』を著したのもたしか千駄ヶ谷に卜居された頃であったろう。共に明治三十年代のことで・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫