・・・喧嘩もやけに強くて、牢に入ったこともあるんだよ。唐手を知って居るんだ。見ろ、この柱を。へこんで居るずら。これは、二階の客人がちょいとぶん殴って見せた跡だよ。」と、とんでも無い嘘を言って居ます。私は、頗る落ちつきません。二階から降りて行って梯・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜で・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・そのうちに、ニコルをやけに急激にねじ回していると、なんだか、時々ぱっぱっと動くものがあるような気がするので、それに注意を集注して見ると、なるほど、ちゃんと書物に記載してあると同じようなものが見える。いや、見えていたのである。一度気がついてみ・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・と羅宇屋が話しかける。桶屋は「捕れたかい、このごろはなんぼ捕れても、みんな蒸気で上へ積み出すからこちらの口へははいらんわい」とやけに桶をポンポンたたく。門の屋根裏に巣をしているつばめが田んぼから帰って来てまた出て行くのを、羅宇屋は煙・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・たとえばそれは小さいしかし恐ろしい猛獣がやけに檻にぶっつかるかと思うような音である。すると今まで鈍い眠りに包まれていた病室が急に生き生きした活気を帯びて来る。さらにこの活気に柔らかみを添えるのは、鉄をたたく音の中に交じってザブ/\ザブ/\と・・・ 寺田寅彦 「病院の夜明けの物音」
・・・と歌の主が答える。これは背の低い眼の凹んだ煤色の男である。「昨日は美しいのをやったなあ」と髯が惜しそうにいう。「いや顔は美しいが頸の骨は馬鹿に堅い女だった。御蔭でこの通り刃が一分ばかりかけた」とやけに轆轤を転ばす、シュシュシュと鳴る間から火・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 陽光がやけに鋭く、砂利を焙った。その上を自動車や、電車や、人間などが、焙烙の上の黒豆のように、パチパチと転げ廻った。「堪らねえなあ」 彼は、窓から外を見続けていた。「キョロキョロしちゃいけない。後ろ頭だけなら、誰って怪しみ・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振りました。するとほんとうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかがやく三角標も、てんでに息をつくように、ちらちらゆれたり顫えたりしました。「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た。」ジョバン・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・その人は興奮の為にガタガタふるえてそれからやけに水をのみました。さあ大へんです。テントの中は割けるばかりの笑い声です。 陳氏ももう手を叩いてころげまわってから云いました。「まるでジョン・ヒルガードそっくりだ。」「ジョン・ヒルガー・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ その文章にふくまれた理論的な誤謬も、現在では過去のプロレタリア文学運動史の一頁としておおやけに批判ずみのものなのであるが、私は、もっとも素朴な形で現れた誤謬は別として、その頃の周囲の雰囲気と自分の心持との間に起った緊張した相互作用につ・・・ 宮本百合子 「近頃の感想」
出典:青空文庫