・・・が、いくら友人たちが躍起となっても、私は一度も負けないばかりか、とうとうしまいには、あの金貨とほぼ同じほどの金高だけ、私の方が勝ってしまったじゃありませんか。するとさっきの人の悪い友人が、まるで、気違いのような勢いで、私の前に、札をつきつけ・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・入れた百四十八頁の、一頁ごとに誤植が二つ三つあるという薄っぺらい、薄汚い本で、……本当のこともいくらか書いてあったが、……いや、それ故に一層お前は狼狽して、莫迦げた金と人手を使って、その本の買い占めに躍起となった。 むかし新聞屋をしてい・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 彼が躍起となって鞭撻を加えれば加えるほど、私の心持はただただ萎縮を感じるのだ。彼は業を煮やし始めた。それでもまだ、彼が今度きゅうに、会のすんだ翌朝、郷里へ発たねばならぬという用意さえできなかったら、あるいはお互の間が救われたかもしれない。・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・が彼は躍起となって、その大きな身体を泳ぐような恰好して、飛びついては振り飛ばされ、飛びついては振り飛ばされながらも、勝ち誇った態度の浪子夫人に敗けまいと意気ごんだ。「梅坊主! 梅坊主」 私はこう心の中に繰返して笑いをこらえていたが、・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・早くからそれに気がついていて、早くこの女もこの話を切り上げたらいいことにと思って道傍へ寄りかけたのであるが、女は自動車の警笛などは全然注意には入らぬらしく、かえって自分に注意の薄らいで来た吉田の顔色に躍起になりながらその話を続けるので、自動・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・と上村は少し躍起になって、「例えてみればそんなものなんで、理想に従がえば芋ばかし喰っていなきゃアならない。ことによると馬鈴薯も喰えないことになる。諸君は牛肉と馬鈴薯とどっちが可い?」「牛肉が可いねエ!」と松木は又た眠むそうな声で真面・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
魯迅の随筆に、「以前、私は情熱を傾けて支那の社会を攻撃した文章を書いた事がありましたけれども、それも、実は、やっぱりつまらないものでした。支那の社会は、私がそんなに躍起となって攻撃している事を、ちっとも知りやしなかったので・・・ 太宰治 「芸術ぎらい」
・・・学生たちがそれをまた神棚から引きおろそうとして躍起になると、そのうち小野がだしぬけに“ハーイ”と、熊本弁独特のアクセントでひっぱりながらいう。「ハーイ、わしがおふくろは専売局の便所掃除でござります。どうせ身分がちごうけん、考えもちがいま・・・ 徳永直 「白い道」
・・・と津田君はいよいよ躍起になる。どうも余にからかっているようにも見えない。はてな真面目で云っているとすれば何か曰くのある事だろう。津田君と余は大学へ入ってから科は違うたが、高等学校では同じ組にいた事もある。その時余は大概四十何人の席末を汚すの・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・作家生活をしているうえは、その生活から自然に物事を眺めるようになってくるので、ここから絶えず抜け出る工夫は躍起となってしているにもかかわらず、それが手っ取り早く出来るものではない。 私小説はそれを克服して後始めて本格小説となるという河上・・・ 横光利一 「作家の生活」
出典:青空文庫