・・・弱きを滅す強き者の下賤にして無礼野蛮なる事を証明すると共に、滅される弱き者のいかほど上品で美麗であるかを証明するのみである。自己を下賤醜悪にしてまで存在を続けて行く必要が何処にあろう。潔よく落花の雪となって消るに如くはない。何に限らず正当な・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ すでに開化と云うものがいかに進歩しても、案外その開化の賜として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からいらいらしなければならない心配を勘定に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変りはなさそうである事は前御話しした通りである上・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・極の野蛮時代で人のお世話には全くならず、自分で身に纏うものを捜し出し、自分で井戸を掘って水を飲み、また自分で木の実か何かを拾って食って、不自由なく、不足なく、不足があるにしても苦しい顔もせずに我慢をしていれば、それこそ万事人に待つところなき・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・恐るべき神経衰弱はペストよりも劇しき病毒を社会に植付けつつある。夜番のために正宗の名刀と南蛮鉄の具足とを買うべく余儀なくせられたる家族は、沢庵の尻尾を噛って日夜齷齪するにもかかわらず、夜番の方では頻りに刀と具足の不足を訴えている。われらは渾・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
上 日清戦争が始まった。「支那も昔は聖賢の教ありつる国」で、孔孟の生れた中華であったが、今は暴逆無道の野蛮国であるから、よろしく膺懲すべしという歌が流行った。月琴の師匠の家へ石が投げられた、明笛を吹く青年等は非国民として擲られた・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ 人あるいはいわく、天下泰平・家内安全をもって人生教育の極度とするときは、野蛮無為、羲昊以上の民をもって人類のとどまるところとなすべし。近くは我が徳川政府二百五十余年の泰平の如きは、すなわち至善至美ならんとの説もあれども、この説は事物の・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・もまた進歩して、後進の社会に人物を出し、また故老の部分においても随分開明説を悦んで、その主義を事に施さんとする者あるは祝すべきに似たれども、開明の進歩と共に内行の不取締もまた同時に進歩し、この輩が不文野蛮と称して常に愍笑する所の封建時代にあ・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・いまぼくが読み返してみてさえ実に意気地なく野蛮なような気のするところがたくさんあるのだ。ちょうど小学校の読本の村のことを書いたところのようにじつにうそらしくてわざとらしくていやなところがあるのだ。けれどもぼくのはほんとうだから仕方ない。ぼく・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・こいつはもうまるで野蛮なんです。礼式も何も知らないのです。実際私はいつでも困ってるんですよ」 軽便鉄道のシグナレスは、まるでどぎまぎしてうつむきながら低く、「あら、そんなことございませんわ」と言いましたがなにぶん風下でしたから本線の・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・そのひとこまには濃厚に、日本の天皇制権力の野蛮さとそれとの抗争のかげがさしている。『人民の文学』は、ひろく読まれているのに、詳細な書評が少ないのは、この複雑性によるとも考えられる。 宮本顕治の文芸評論をながめわたすと、いくつかの点に心を・・・ 宮本百合子 「巖の花」
出典:青空文庫