・・・今の偶然に起った簡単な問答は、お互の胸に強く有意味に感じた。民子もそう思った事はその素振りで解る。ここまで話が迫ると、もうその先を言い出すことは出来ない。話は一寸途切れてしまった。 何と言っても幼い両人は、今罪の神に翻弄せられつつあるの・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・が、この大根気、大努力も決して算籌外には置かれないので、単にこの点だけでも『八犬伝』を古往今来の大作として馬琴の雄偉なる大手筆を推讃せざるを得ない。 殊に失明後の労作に到っては尋常芸術的精苦以外にいかなる障碍にも打ち勝ってますます精進し・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・時に、重々として、厚さを加え、やがては、奇怪な山嶽のように雄偉な姿を大空に擡げて、下界を俯瞰する。しからざれば陰惨な光景を呈して灰白色となり、暗黒色となり、雷鳴を起し、電光を発し、風を呼び、雨をみなぎらせるのであるが、そのはじめに於て、千変・・・ 小川未明 「常に自然は語る」
・・・けれども正作は西国立志編のお蔭で、この気象に訓練を加え、堅実なる有為の精神としたのである。 ともかく、彼の父は尋常の人ではなかった。やはり昔の武士で、維新の戦争にも出てひとかどの功をも立てたのである。体格は骨太の頑丈な作り、その顔は眼ジ・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・という有為な青年に最も忌むべき傾向である。うち明けていえば、私はこの種の「薄っぺら」よりは、まだしも獲得の本能にもとづく肉慾追求の青年をとるものだ。「銀ぶら」「喫茶店めぐり」、背広で行くダンス・ホール、ピクニック、――そうした場所で女友を拾・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ことに彼の経験では有為な徹底的な人間は往々一方に偏する傾向があるというのである。従って中等学校では生徒がある特殊な専門に入るだけの素養が出来次第その学科に対するだけの免状をやる事にすればいい。前に中学卒業試験全廃を唱えたのは、つまりこうして・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・老子の無為は自覚的には無為であるが実は無意識の大なる有為であった。危険どころかこれほど安全な道はないであろう。充実したつもりで空虚な隙間だらけの器物はあぶなく、有為なつもりの無能は常に大怪我の基である。老子の忠告を聞流しているために恐ろしい・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・ために不意打ちをくらった世間が例のように無遠慮に無作法にあのボーアの静かな別墅を襲撃して、カメラを向けたり、書斎の敷物をマグネシウムの灰で汚したり、美しい芝生を踏み暴したりして、たとえ一時なりともこの有為な頭の安静をかき乱すような事がありは・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・このはなはだ杜撰な空想的色彩の濃厚な漫筆が読者の中の元気で自由で有為な若い自然研究者になんらかの新題目を示唆することができれば大幸である。ただ記述があまりに簡略に過ぎてわかりにくい点が多いことと思われるが、そういう点についてはどうか聡明なる・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
・・・しかし一つちょっと困ったことには若くて有為な科学者はたぶん入れ歯の改良などには痛切な興味を感じにくいであろうし、そのような興味を感じるような年配になると肝心の研究能力が衰退しているということになりそうである。 年をとったら歯が抜けて堅い・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫