・・・もし君が僕の言うことを聞く気があるなら、一つ働いて通る量見になりたまえ。何か君は出来ることがあるだろう――まあ、歌を唄うとか、御経を唱げるとか、または尺八を吹くとかサ。」「どうも是という芸は御座いませんが、尺八ならすこしひねくったことも・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・人生の中枢意義は言うまでもなく実行である。人生観はすなわち実行的人生の目的と見えるもの、総指揮と見えるものに識到した観念でないか。いわゆる実行的人生の理想または帰結を標榜することでないか。もしそうであるなら、私にはまだ人生観を論ずる資格はな・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・ウイリイは自分でも知らないのですから、だれの顔だとも言うことが出来ませんでした。 そうすると王さまは、「お前はわしに隠しだてをするのか。それではわしが話してやろう。これはこの世界中で一ばん美しい王女の顔だ。」とお言いになりました。・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・ その小さな女の子も、じぶんとおなじように、はだしのままで、黒っ茶けた木綿の上着を着ていました。しかし、その髪の毛は、ちょうど、男の子がいつも見ている光った窓のように、きれいな金色をしていました。それから目は、ま昼の空のようにまっ青にす・・・ 鈴木三重吉 「岡の家」
・・・だからもし大きなむすこが腹をたてて帰って来て、庭先でどなりでもするような事があると、おばあさんは以前のような、小さい、言う事をきく子どもにしようと思っただけで、即座にちっぽけに見る事もできましたし、孫たちがよちよち歩きで庭に出て来るのを見る・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
此スバーと云う物語は、インドの有名な哲学者で文学者の、タゴールが作ったものです。インド人ですが英国で勉強をし立派な沢山の本を書いています。六七年前、日本にも来た事がありました。此人の文章は実に美しく、云い表わしたい十の・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・とにかく、Cantor の言うたように、」また、はじまった。「数学の本質は、その自由性に在る。たしかに、そうだ。自由性とは、Freiheit の訳です。日本語では、自由という言葉は、はじめ政治的の意味に使われたのだそうですから、Freihe・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・紺の木綿のピッチリした長股引を、芝居の鳶の者が、はいているようですけれど、あれを欲しいと思いました。ひょっとこめ、と言って、ぱっと裾をさばいて、くるりと尻をまくる。あのときに紺の股引が眼にしみるほど引き立ちます。さるまた一つでは、いけません・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・ つまり私たちの一行は、汚いシャツに色のさめた紺の木綿のズボン、それにゲエトルをだらしなく巻きつけ、地下足袋、蓬髪無帽という姿の父親と、それから、髪は乱れて顔のあちこちに煤がついて、粗末極まるモンペをはいて胸をはだけている母親と、それか・・・ 太宰治 「たずねびと」
ウィインで頗る勢力のある一大銀行に、先ずいてもいなくても差支のない小役人があった。名をチルナウエルと云う小男である。いてもいなくても好いにしても、兎に角あの大銀行の役をしているだけでも名誉には違いない。 この都に大勢いる銀行員と云・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
出典:青空文庫