今も尚お、その境地から脱しないでいる私にあっては、『貧乏時代』と、言って、回顧する程のゆとりを心の上にも、また、実際の上にも持たないのでありますが、これまでに経験したことの中で、思い出さるゝ二三の場合について、記して見ます。 何と・・・ 小川未明 「貧乏線に終始して」
・・・だいいち、このような型の感傷、このような型の文章は、戦争中「心の糧になるゆとりを忘れるな」という名目で随分氾濫したし、「工場に咲いた花」「焼跡で花を売る少女」などという、いわゆる美談佳話製造家の流儀に似てはいないだろうか。 蛍の風流もい・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・そこには私の意匠した縁台が、縁側と同じ高さに、三尺ばかりも庭のほうへ造り足してあって、蘭、山査子などの植木鉢を片すみのほうに置けるだけのゆとりはある。石垣に近い縁側の突き当たりは、壁によせて末子の小さい風琴も置いてあるところで、その上には時・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・日本で一ばん気品が高くて、ゆとりある合戦をしようと思った。はじめは私が勝って、つぎには私が短気を起したものだから、負けた。私のほうが、すこし強いように思われた。深田久弥は、日本に於いては、全くはじめての、「精神の女性」を創った一等の作家であ・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・そんなたわむれの言葉を交しながら、ゆとりある態度で呑みおわって、それから、大きいひらたい岩にふたりならんで腰かけて、両脚をぶらぶらうごかしながら、静かに薬のきく時を待って居ました。私はいま、徹頭徹尾、死なねばならぬ。きのう、きょう、二日あそ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・私のこれまでの生涯を追想して、幽かにでも休養のゆとりを感じた一時期は、私が三十歳の時、いまの女房を井伏さんの媒酌でもらって、甲府市の郊外に一箇月六円五十銭の家賃の、最小の家を借りて住み、二百円ばかりの印税を貯金して誰とも逢わず、午後の四時頃・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・だけならば、美しい感傷を味わうだけのゆとりがある。しかしそれを「見せられる」のでは、刺激があまりに強すぎて、もはや享楽の領域を飛び出してしまう恐れがあるのではないかと思われる。 十三 血煙天明陣 この映画は途中から見・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・あの時にあの罪のない俚謡から流れ出た自由な明るい心持ちは三十年後の今日まで消えずに残っていて、行きづまりがちな私の心に有益な転機を与え、しゃちこ張りたがる気分にゆとりを与える。これはおそらく私の長い学校生活の間に受けた最もありがたい教えの中・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・ただそれを研究しているという事が何より先に感ぜられるので、楽しんで見るだけのゆとりが自分には出て来ない。 大観氏の四枚の絵は自分には裾模様でも見るようで、絵としての感興が沸いて来ない。氏はいつでも頭で絵を描いているのを多とするが、しかし・・・ 寺田寅彦 「二科会その他」
・・・写生文家のかいたものには何となくゆとりがある。逼っておらん。屈托気が少ない。したがって読んで暢び暢びした気がする。全く写生文家の態度が人事を写し行く際に全精神を奪われてしまわぬからである。 写生文家は自己の精神の幾分を割いて人事を視る。・・・ 夏目漱石 「写生文」
出典:青空文庫