・・・ だからもし運命が許したら、何小二はこの不断の呻吟の中に、自分の不幸を上天に訴えながら、あの銅のような太陽が西の空に傾くまで、日一日馬の上でゆられ通したのに相違ない。が、この平地が次第に緩い斜面をつくって、高粱と高粱との間を流れている、・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・東北その他へ出る汽車には、みんながおしおしにつめかけて、機関車のぐるりや、箱車の屋根の上へまでぎっしりと乗上って、いのちがけでゆられていくありさまでした。 焼け出されたまま落ちつく先のない人々は、日比谷公園や宮城まえなぞに立てならべられ・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ 誰にも知られぬ、このような侘びしいおしゃれは、年一年と工夫に富み、村の小学校を卒業して馬車にゆられ汽車に乗り十里はなれた県庁所在地の小都会へ、中学校の入学試験を受けるために出掛けたときの、そのときの少年の服装は、あわれに珍妙なものであ・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・ その日、男爵は二時間ちかく電車にゆられて、撮影所のまちに到着した。草深い田舎であったが、けれどもかれは油断をしなかった。金雀枝の茂みのかげから美々しく着飾ったコサック騎兵が今にも飛び出して来そうな気さえして、かれも心の中では、年甲斐も・・・ 太宰治 「花燭」
・・・草はらのむこうには、赤濁りに濁った海が、低い曇天に押しつぶされ、白い波がしらも無しに、ゆらりゆらり、重いからだをゆすぶっていて、窓のした、草はらのうえに捨てられてある少し破れた白足袋は、雨に打たれ、女の青い縞のはんてんを羽織って立っている私・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・これから、すぐ日本海に出るのだ。ゆらりと一揺れ大きく船がよろめいた。海に出たのである。エンジンの音が、ここぞと強く馬力をかけた。本気になったのである。速力は、十五節。寒い。私は新潟の港を見捨て、船室へはいった。二等船室の薄暗い奥隅に、ボオイ・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・シロオテは長崎から江戸までの長途を駕籠にゆられながらやって来た。旅のあいだは、来る日も来る日も、焼栗四つ、蜜柑二つ、干柿五つ、丸柿二つ、パン一つを役人から与えられて、わびしげに食べていた。 新井白石は、シロオテとの会見を心待ちにして・・・ 太宰治 「地球図」
・・・熱海で、伊東行の汽車に乗りかえ、伊東から下田行のバスに乗り、伊豆半島の東海岸に沿うて三時間、バスにゆられて南下し、その戸数三十の見る影も無い山村に降り立った。ここなら、一泊三円を越えることは無かろうと思った。憂鬱堪えがたいばかりの粗末な、小・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・ はじめ、ゆらゆら眼ざめたときには、誰か男の腕にしっかり抱きかかえられていたように、思われる。その男の腕に力一ぱいしがみついて、わあ、わあ、声をはりあげて泣いたような、気がする。男も一緒に、たしかに、歔欷の声をもらしていた。「あなただけ・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・張子の虎をあてがわれてもそれをいじくりまわすことはなく、ゆらゆら動く虎の頭を退屈そうに眺めているだけであった。朝、眼をさましてからもあわてて寝床から這い出すようなことはなく、二時間ほどは眼をつぶって眠ったふりをしているのである。かるがるしき・・・ 太宰治 「ロマネスク」
出典:青空文庫