・・・古本屋。洋館。走りながら私は自分が何やらぶつぶつ低く呟いているのに気づいた。――走れ、電車。走れ、佐野次郎。走れ、電車。走れ、佐野次郎。出鱈目な調子をつけて繰り返し繰り返し歌っていたのだ。あ、これが私の創作だ。私の創った唯一の詩だ。なんとい・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・茶店で羊羹食いながら、白扇さかしまなど、気の毒に思うのである。なお、この一文、茶屋の人たちには、読ませたくないものだ。私が、ずいぶん親切に、世話を受けているのだから。 太宰治 「富士に就いて」
・・・敵の捨てて遁げた汚い洋館の板敷き、八畳くらいの室に、病兵、負傷兵が十五人、衰頽と不潔と叫喚と重苦しい空気と、それにすさまじい蠅の群集、よく二十日も辛抱していた。麦飯の粥に少しばかりの食塩、よくあれでも飢餓を凌いだ。かれは病院の背後の便所を思・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・西洋人の大きな洋館、新築の医者の構えの大きな門、駄菓子を売る古い茅葺の家、ここまで来ると、もう代々木の停留場の高い線路が見えて、新宿あたりで、ポーと電笛の鳴る音でも耳に入ると、男はその大きな体を先へのめらせて、見栄も何もかまわずに、一散に走・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・次は二人の消防夫が屋根から墜落。勇敢なクジマ、今までに四十人の生命を助け十回も屋根からころがり落ちた札付きのクジマのおやじが屋根裏の窓から一匹のかわいい三毛の子ねこを助け出す。その次はクジマがポケットへ子ねこをねじ込んだままで、今にも焼け落・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・あらゆる民族の中の勇敢な進取的な連中が自然に寄り集まってできた国だとすれば、日本は世界じゅうでいちばんえらい国でなければならないはずである。 それは疑問としてもその上にまだ山川風土でありとあらゆる多様のタイプを具備している。実際千島カラ・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・そうして、肉桂酒、甘蔗、竹羊羹、そう云ったようなアットラクションと共に南国の白日に照らし出された本町市の人いきれを思い浮べることが出来る。そうしてさらにのぞきや大蛇の見世物を思い出すことが出来る。 三谷の渓間へ虎杖取りに行ったこともあっ・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・しかし「勇敢」では少しぐあいが悪い。また一方で Barbarossa が「赤ひげ」であるのも不思議である。(Ar.)gharib, ghurab「異常」は喉音のgをとると「わらふ」にも似てるし、hをbに変えると「べらぼう」のほうに近づく・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・竹羊羹というのは青竹のひと節に黒砂糖入り水羊羹をつめて凝固させたものである。底に当たる節の隔壁に錐で小さな穴を明けておいて開いた口を吸うと羊羹の棒がなめらかに抜け出して来る、それを短く歯でかみ切って食う、残りの円筒形の羊羹はちょっと吹くとま・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・先生は青磁の鉢に羊羹を盛った色彩の感じを賞したことがあったように記憶する。 青磁の皿にまっかなまぐろのさしみとまっ白なおろし大根を盛ったモンタージュはちょっと美しいものの一つである。いきのよいさしみの光沢はどこか陶器の光沢と相通ずるもの・・・ 寺田寅彦 「青磁のモンタージュ」
出典:青空文庫