・・・ 私は本多子爵が、今でこそ交際嫌いで通っているが、その頃は洋行帰りの才子として、官界のみならず民間にも、しばしば声名を謳われたと云う噂の端も聞いていた。だから今、この人気の少い陳列室で、硝子戸棚の中にある当時の版画に囲まれながら、こう云・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
横浜。 日華洋行の主人陳彩は、机に背広の両肘を凭せて、火の消えた葉巻を啣えたまま、今日も堆い商用書類に、繁忙な眼を曝していた。 更紗の窓掛けを垂れた部屋の内には、不相変残暑の寂寞が、息苦しいくらい支配していた。その・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・けれどもあの透きとおるような海の藍色と、白い帆前船などの水際近くに塗ってある洋紅色とは、僕の持っている絵具ではどうしてもうまく出せませんでした。いくら描いても描いても本当の景色で見るような色には描けませんでした。 ふと僕は学校の友達の持・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・ 赤帽の言葉を善意に解するにつけても、いやしくも中山高帽を冠って、外套も服も身に添った、洋行がえりの大学教授が、端近へ押出して、その際じたばたすべきではあるまい。 宗吉は――煙草は喫まないが――その火鉢の傍へ引籠ろうとして、靴を返し・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・の時初めて恋の楽しさと哀しさとを知りました、二月ばかりというものは全で夢のように過ぎましたが、その中の出来事の一二お安価ない幕を談すと先ずこんなこともありましたっケ、「或日午後五時頃から友人夫婦の洋行する送別会に出席しましたが僕の恋人も・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・比ぶればいくらか服装はまさっているが、似たり寄ったり、なぜ二人とも洋服を着ているか、むしろ安物でもよいから小ザッぱりした和服のほうがよさそうに思われるけれども、あいにくと二人とも一度は洋行なるものをして、二人とも横文字が読めて、一方はボルテ・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・ 昨夜までは、わが洋行も事業の名をかりて自ら欺く逃走なりき。かしこは墳墓なりき。今やしからず。今朝より君が来宅までわが近郊の散歩は濁水暫時地を潜りし時のごとし。こはわが荒き感情の漉されし時なり。再び噴出せし今は清き甘き泉となりぬ。われは・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・帆をあげた舟、発動汽船、ボート、櫓で漕ぐ舟、それらのものが春のぽかぽかする陽光をあびて上ったり下ったりした。 黒河からブラゴウエシチェンスクへは、もう、舟に乗らなければ渡ってくることはできない。しかし、警戒兵は、油断がならなかった。税関・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・ 密輸入商人の深沢洋行には、また、呉清輝のごとき人間がぜひ必要なのであった。 深沢は、シベリアを植民地のように思って、利権を漁って歩いた男だ。 ルーブル紙幣は、サヴエート同盟の法律によって国外持出しを禁じられていた。そこでまた、・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・「旦那さんが今洋行してますから、ちと高瀬さんにも遊びに被入しって下さいって」「俺にか。旦那さんが居るから遊びに来いッてんなら解ってるが、旦那さんが留守だから遊びに来いは可笑しいじゃないか」 復た二人は笑った。 鞠子は大工さん・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫