・・・ 二言三言私はようやっと呼ぶ事が出来た。けれ共何の返事も、まつ毛一つも動かさない眼を見た時又悲しさは私の心の中を荒れ廻っていかほどつとめても唇が徒に震える許りで声は出なかった。 母親は今朝はいろいろのまぼろしを見て、私が帰って来・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ かなり長い間しゃくり上げて居たさきは、ようやっと前髪をかきあげながら、「もうやめましてございます。 せめて新らしい女が馴れるまで置いていただきましょうし出来るだけ御馳走も差しあげて置きましょう。」と云って無理無理に淋しそう・・・ 宮本百合子 「蛋白石」
・・・「私もう帰りますよ六時半までの約束が一つある、 ようやっと今から間に合うほどだから。 いつか上りますよ、誰かと一緒に――「ええそいじゃあ左様なら、 つれて来ても好いから半端な数にしちゃあいけませんよ。 こんな・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・ 私も笑いながらこんなことを云って手をひっぱってようやっと自分の部屋までつれて来た。本ばこで四方をとりまかれて古っくさい本のわきに目のさめるようなのがならんで居たり、文庫ん中から原稿紙がのぞいたりして居る部屋の様子を御仙さんは気をのまれ・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・妹の君は紫の君と云って今年ようやっと十六、もの事のよくわかった、姿のきれいなしっかりした情深い姫君で有る、「瓜を三角にきってもこうはちがいますまいものをネー」かげ口で有る。「先代をくわしく知るものはないがなんでも都の歌人でござったそうじ・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・ それからようやっと落ついてから、こないだのもののつづきを書き「聖書」と「希臘神話」を読む。「聖書」なんかは信心しない私なんかには別に有がたいとは感じないけれども「聖書」は一通り知って居なくっては不自由をしますよ、と忠告されたんで先によ・・・ 宮本百合子 「日記」
・・・けれども、野良だの、釣だのに出て来て、こういう風に落付くと、彼はようやっと「俺」をとり戻す。 そして、だんだん心は広々と豊かになって、彼のほんとの命が栄え出すのであった。 今も長閑な心持であたりの様子を眺めているうちに、禰宜様宮田の・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・「ようやっとようなった。今あんまり気が立ったさかえ斯うして居たのや、どうにも斯うにもしようのないほど……ナア、涙がこぼれそうやった」「どうして? あんな事、私が云ったから……でもそんな事考えたってしかたがないんだもの、もうやめて面白・・・ 宮本百合子 「ひな勇はん」
・・・「いいあんばいだ。ようやっと少しは柔い気持になれる」 斯う女は思って先にかがみの前でした様な様子を、器用に手早にさせて男の肩を両手でゆすぶった。 二人は崩れた様に笑った。「何さっきあんなけんけんした声を出した?」 男は女・・・ 宮本百合子 「芽生」
出典:青空文庫