・・・それが男は、たいてい、うすぎたない日本の浴衣をひっかけている。いつか本郷座へ出た連中であるが、こうして日のかんかん照りつける甲板に、だらしのない浴衣がけで、集っているのを見ると、はなはだ、ふるわない。中には、赤い頭巾をかぶった女役者や半ズボ・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・入口に近い机の上では、七条君や下村君やその他僕が名を知らない卒業生諸君が、寄附の浴衣やら手ぬぐいやら晒布やら浅草紙やらを、罹災民に分配する準備に忙しい。紺飛白が二人でせっせと晒布をたたんでは手ぬぐいの大きさに截っている。それを、茶の小倉の袴・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・まるいのは市村の麦わら帽子、細長いのは中塚の浴衣であった。黒いものは谷の底からなお上へのぼって馬の背のように空をかぎる。その中で頭の上の遠くに、菱の花びらの半ばをとがったほうを上にしておいたような、貝塚から出る黒曜石の鏃のような形をしたのが・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・ さりとも、人は、と更めて、清水の茶屋を、松の葉越に差窺うと、赤ちゃけた、ばさらな銀杏返をぐたりと横に、框から縁台へ落掛るように浴衣の肩を見せて、障子の陰に女が転がる。 納戸へ通口らしい、浅間な柱に、肌襦袢ばかりを着た、胡麻塩頭の亭・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ とこの八畳で応じたのは三十ばかりの品のいい男で、紺の勝った糸織の大名縞の袷に、浴衣を襲ねたは、今しがた湯から上ったので、それなりではちと薄ら寒し、着換えるも面倒なりで、乱箱に畳んであった着物を無造作に引摺出して、上着だけ引剥いで着込ん・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・……遊山旅籠、温泉宿などで寝衣、浴衣に、扱帯、伊達巻一つの時の様子は、ほぼ……お互に、しなくっても可いが想像が出来る。膚を左右に揉む拍子に、いわゆる青練も溢れようし、緋縮緬も友染も敷いて落ちよう。按摩をされる方は、対手を盲にしている。そこに・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・ 五尺八寸、十三貫、すなわち痩せているせいで暑さに強い私は、裸で夜をすごすということは余りなく、どんなに暑くてもきちんと浴衣をきて、机の前に坐っているのだが、八月にはいって間もなくの夜明けには、もう浴衣では肌寒い。ひとびとが宵の寝苦しい・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・そしてもう少し行くと、中座、浪花座と東より順に五座の、当時はゆっくりと仰ぎ見てたのしんだほど看板が見られたわけだったが、浜子は角座の隣りの果物屋の角をきゅうに千日前の方へ折れて、眼鏡屋の鏡の前で、浴衣の襟を直しました。浜子は蛇ノ目傘の模様の・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・と思い、彼は汗づいた浴衣だけは脱ぎにかかった。 女は帰って、すぐ彼は「ビール」と小婢に言いつけた。 ジュ、ジュクと雀の啼声が樋にしていた。喬は朝靄のなかに明けて行く水みずしい外面を、半分覚めた頭に描いていた。頭を挙げると朝の空気・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・店の若い衆なども浴衣がけで、昼見る時とはまるで異ったふうに身体をくねらせながら、白粉を塗った女をからかってゆく。――そうした町も今は屋根瓦の間へ挾まれてしまって、そのあたりに幟をたくさん立てて芝居小屋がそれと察しられるばかりである。 西・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
出典:青空文庫