・・・子規の骨が腐れつつある今日に至って、よもや、漱石が教師をやめて新聞屋になろうとは思わなかったろう。漱石が教師をやめて、寒い京都へ遊びに来たと聞いたら、円山へ登った時を思い出しはせぬかと云うだろう。新聞屋になって、糺の森の奥に、哲学者と、禅居・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・母の考えでは、夫が侍であるから、弓矢の神の八幡へ、こうやって是非ない願をかけたら、よもや聴かれぬ道理はなかろうと一図に思いつめている。 子供はよくこの鈴の音で眼を覚まして、四辺を見ると真暗だものだから、急に背中で泣き出す事がある。その時・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・現代の非人間的なものとのたたかいが、そのたたかいに立っている英雄たちのためにだけあるものだとは、よもや考えられてはいないだろう。 日本の侵略戦争はとめどなく拡大されて行った。そして「非常時」が、あらゆる理性と文化を抹殺しはじめて横光利一・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・都内の子供の生活は、そういう日本人民の破滅に蝕ばまれていて、風がわるいからと、自分の貰った子たちは学習院に入れる文学者たちは、その学校の土堤の中に、日本人民の独立や自由や平和がよもやあり得るとは信じていまい。 朝鮮の国内戦は、急速に・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・文学は文学そのものとしての存在を抹殺されたし、文学者は戦時徴用者として文学の能力を戦争宣伝に使われたことをよもや否定する人はないでしょう。このことは、洋服屋が徴用されて平和のための衣服の製作をやめ、殺されなければならない人の服を縫わされたこ・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
・・・しかしどうしてなったのだろうか。よもや西洋で僕の師友にしていた学者のような、オルガニックな欠陥が出来たのではあるまい。そうして見れば飾磨屋は、どうかした場合に、どうかした無形の創痍を受けてそれが癒えずにいる為めに、傍観者になったのではあるま・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・ よもやと思い固めたことが全く違ッてしまったことゆえ、今さら母も仰天したが、さすがにもはや新田のことよりは夫や聟の身の上が心配の種になッて来た。「さてはその時に民部たちは」「そのこと、まことそのことにおじゃるわ。おれがこれから鎌・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫