・・・最後に社宅へ帰った後も、――何でも常子の話によれば、彼は犬のように喘ぎながら、よろよろ茶の間へはいって来た。それからやっと長椅子へかけると、あっけにとられた細君に細引を持って来いと命令した。常子は勿論夫の容子に大事件の起ったことを想像した。・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・わたしはよろよろ立ち上りながら、夫の側へ近寄りました。「あなた。もうこうなった上は、あなたと御一しょには居られません。わたしは一思いに死ぬ覚悟です。しかし、――しかしあなたもお死になすって下さい。あなたはわたしの恥を御覧になりました。わ・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・足は痺れを切らしたらしく、少しよろよろとなって歩いて行く父の後姿を見ると、彼はふっと深い淋しさを覚えた。 父はいつまでも寝つかないらしかった。いつもならば頭を枕につけるが早いかすぐ鼾になる人が、いつまでも静かにしていて、しげしげと厠に立・・・ 有島武郎 「親子」
・・・心細いほど真直な一筋道を、彼れと彼れの妻だけが、よろよろと歩く二本の立木のように動いて行った。 二人は言葉を忘れた人のようにいつまでも黙って歩いた。馬が溺りをする時だけ彼れは不性無性に立どまった。妻はその暇にようやく追いついて背の荷をゆ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ と衝と立ったが、早急だったのと、抱いた重量で、裳を前に、よろよろと、お民は、よろけながら段階子。「謹さん。」「…………」「翌朝のお米は?」 と艶麗に莞爾して、「早く、奥さんを持って下さいよ。ああ、女中さん御苦労でし・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・勿論、往復とも徒歩なんですから、帰途によろよろ目が眩んで、ちょうど、一つ橋を出ようとした時でした。午砲!――あの音で腰を抜いたんです。土を引掻いて起上がる始末で、人間もこうなると浅間しい。……行暮れた旅人が灯をたよるように、山賊の棲でも、い・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 神官は高足駄で、よろよろとなって、鳥居を入ると、住居へ行かず、階を上って拝殿に入った。が、額の下の高麗べりの畳の隅に、人形のようになって坐睡りをしていた、十四になる緋の袴の巫女を、いきなり、引立てて、袴を脱がせ、衣を剥いだ。……この巫・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 投棄てるようにいうとともに、お誓はよろよろと倒れて、うっとりと目を閉じた。 早く解いて流した紅の腹帯は、二重三重にわがなって、大輪の花のようなのを、もろ翼を添えて、白鷺が、すれすれに水を切って、鳥旦那の来り迫る波がしらと直線に、水・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・野菊がよろよろと咲いている。民さんこれ野菊がと僕は吾知らず足を留めたけれど、民子は聞えないのかさっさと先へゆく。僕は一寸脇へ物を置いて、野菊の花を一握り採った。 民子は一町ほど先へ行ってから、気がついて振り返るや否や、あれッと叫んで駆け・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・も色町からくりだした踊りの群が流れこんできて、エライコッチャエライコッチャと雑鬧を踊りの群が入り乱れているうちに、頭を眼鏡という髪にゆって、襟に豆絞りの手拭を掛けた手古舞の女が一人、どっと押しだされてよろよろと私の店の上へ倒れかけました。私・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫