・・・これなら干ぼしになったら、すぐ羽にかわって欄間を飛ぶだろうと思ったほどです。いいえ、天人なぞと、そんな贅沢な。裏長屋ですもの、くさばかげろうの幽霊です。 その手拭が、娘時分に、踊のお温習に配ったのが、古行李の底かなにかに残っていたのだか・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 祖師堂は典正なのが同一棟に別にあって、幽厳なる夫人の廟よりその御堂へ、細長い古畳が欄間の黒い虹を引いて続いている。……広い廊下は、霜のように冷うして、虚空蔵の森をうけて寂然としていた。 風すかしに細く開いた琴柱窓の一つから、森を離・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・いや、庭が白いと、目に遮った時は、スッと窓を出たので、手足はいつか、尾鰭になり、我はぴちぴちと跳ねて、婦の姿は廂を横に、ふわふわと欄間の天人のように見えた。 白い森も、白い家も、目の下に、たちまちさっと……空高く、松本城の天守をすれすれ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・はい、ものに譬えようもござりませぬ。欄間にござる天女を、蛇が捲いたような、いや、奥庭の池の鯉を、蠑が食い破りましたそうな儀で。……生命も血も吸いました。――一旦夢がさめますると、その罪の可恐さ。身の置所もござりませぬで。……消えるまで、失せ・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・それでも建ちは割合に高くて、簡単な欄間もあり銅の釘隠なども打ってある。その釘隠が馬鹿に大きい雁であった。勿論一寸見たのでは木か金かも知れないほど古びている。 僕の母なども先祖の言い伝えだからといって、この戦国時代の遺物的古家を、大へんに・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 円福寺の方丈の書院の床の間には光琳風の大浪、四壁の欄間には林間の羅漢の百態が描かれている。いずれも椿岳の大作に数うべきものの一つであるが、就中大浪は柱の外、框の外までも奔浪畳波が滔れて椿岳流の放胆な筆力が十分に現われておる。 円福・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 植通公の若い時は天下乱麻の如くであった。知行も絶え絶えで、如何に高貴の身分家柄でも生活さえ困難であった。織田信長より前は、禁庭御所得はどの位であったと思う。或記によればおよそ三千石ほどだったというのである。如何に簡素清冷に御暮しになっ・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ 討論の現場に居合せたもうひとりの下僚は、「いえ、いえ、どうして、かいとう乱麻を断つ、というところでしたよ」 とお世辞を言う。「かいとうとは、怪しい刀と書くんだろう?」 と彼はやはり苦笑しながら言って、でも内心は、まんざ・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・いい座敷だ。欄間も、壁も、襖も、古く、どっしりして、安普請では無い。「ここは、ちっとも、かわらんな。」幸吉は、私と卓を挾んで坐ってから、天井を見上げたり、ふりかえって欄間を眺めたり、そわそわしながら、そんなことを呟いて、「おや、床の間が・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・乱麻を焼き切る 小説論が、いまのように、こんぐらかって来ると、一言、以て之を覆いたくなって来るのである。フランスは、詩人の国。十九世紀の露西亜は、小説家の国なりき。日本は、古事記。日本書紀。万葉の国なり。長編小説などの国には・・・ 太宰治 「もの思う葦」
出典:青空文庫