・・・ 或老練家 彼はさすがに老練家だった。醜聞を起さぬ時でなければ、恋愛さえ滅多にしたことはない。 自殺 万人に共通した唯一の感情は死に対する恐怖である。道徳的に自殺の不評判であるのは必ずしも偶然ではない・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・月の風、夕立ち、はれては青葉したたり、いずかたよりぞレモンの香、やさしき人のみ住むという、太陽の国、果樹の園、あこがれ求めて、梶は釘づけ、ただまっしぐらの冒険旅行、わが身は、船長にして一等旅客、同時に老練の司厨長、嵐よ来い。竜巻よ来い。弓矢・・・ 太宰治 「喝采」
・・・ませぬ、ここには、私すべてを出し切って居ませんよ、という、これはまた、おそろしく陳腐の言葉、けれどもこれは作者の親切、正覚坊の甲羅ほどの氷のかけら、どんぶりこ、どんぶりこ、のどかに海上ながれて来ると、老練の船長すかさずさっと進路をかえて、危・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ いやに老練な法律家の口振りを真似た様な、体につり合わない声や言葉で云った。「必ずどうかする」と云った言葉を手頼りに、栄蔵はせっせと、鼻つまみにされるほど通って居た。 もうこうなっては根の強い方が勝つんやから。 ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
世界平和大会へ日本の代表は行くことができなかった。世界労連の会議にも出席させられなかった。ペンクラブの大会へ日本の作家が招かれたが、これもゆく人がなかった。代表一人につき百万円の旅費は、作家のふところからは払いきれなかった・・・ 宮本百合子 「再武装するのはなにか」
・・・ 新たなプロレタリアの描写を試みて、老練なるべきゴーリキイははなはだ興味ある若さ、未熟さ、英雄主義を作品に導き入れた。ゴーリキイはベラゲヤをネロ時代キリスト教殉教者のように描いた。労働者ウラソフが公判廷で行う演説は、説教者くさいところも・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
出典:青空文庫