・・・ 大川の流れを見るごとに、自分は、あの僧院の鐘の音と、鵠の声とに暮れて行くイタリアの水の都――バルコンにさく薔薇も百合も、水底に沈んだような月の光に青ざめて、黒い柩に似たゴンドラが、その中を橋から橋へ、夢のように漕いでゆく、ヴェネチアの・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・僕はいつかイタリアのファッショは社会主義にヒマシユを飲ませ、腹下しを起こさせるという話を聞き、たちまち薄汚いベンチの上に立った僕自身の姿を思い出したりした。のみならずファッショの刑罰もあるいは存外当人には残酷ではないかと考えたりした。・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・土産には何を持って来てやろう。イタリアの柘榴か、イスパニアの真桑瓜か、それともずっと遠いアラビアの無花果か?主人 御土産ならば何でも結構です。まあ飛んで見せて下さい。王子 では飛ぶぞ。一、二、三!王子は勢好く飛び上る。が、戸・・・ 芥川竜之介 「三つの宝」
・・・否、西にあらず、まず東に行かん、まずアメリカに遊ぶべし、それよりイギリスに、その後はかねて久しく望みしフランスイタリアに。これを聞きて翁の目は急に笑みをたたえ、父上もさすがにこの度は許したまいしか、まずまずめでたし、いつごろ立ちたもうや。月・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・ これはイタリアの恋愛詩人ダヌンチオの詩の一句である。畏きや時の帝を懸けつれば音のみし哭かゆ朝宵にして これは日本の万葉時代の女性、藤原夫人の恋のなやみの歌である。彼女は実に、××に懸想し奉ったのであった。稲つけ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ しかし中等学校を卒業しないうちに学校生活が一時中断するようになったというのは、彼の家族一同がイタリアへ移住する事になったのである。彼等はミランに落着いた。そこでしばらく自由の身になった少年はよく旅行をした。ある時は単身でアペニンを越え・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・と言うから、私も「イタリア人はもっとゼントルマンかと思った」と答えて、それきり永久に別れてしまった。私も少し悪かったようである。しかしこんなのはさすがに知識の案内者にはない。 考えてみると案内者になるのも被案内者になるのもなかなか容易で・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・という映画に、ヒーローの寝ころんで「ナポレオンのイタリア侵入」を読んでいる横顔へ、女がいたずらの光束を送るところがあったようである。 四 ドライヴ 身体の弱いものがいちばんはっきり自分の弱さを自覚させられて不幸に感・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・ あの頃よく話の種になったイタリア人がある。名をジュセッポ・ルッサナとかいって、黒田の宿の裏手に小さな家を借りて何処かの語学校とかへ通っていた。細君は日本人で子供が二人、末のはまだほんの赤ん坊であった。下女も置かずに、質素と云うよりはむ・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・ 欧州のどこかの寄席で或るイタリア人の手先で作り出す影法師を見たことがある。頭の上で両手を交差して、一点の弧光から発する光でスクリーンに影を映すだけのことであるが、それは実に驚くべき入神の技であった。小猿が二匹向かい合って蚤をとり合った・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
出典:青空文庫