・・・英国、仏蘭西、独逸とずいぶんながいごったごたした旅行を続けておしまいにウィーンへやって来る。そして着いた夜あるホテルへ泊まるんですが、夜中にふと眼をさましてそれからすぐ寝つけないで、深夜の闇のなかに旅情を感じながら窓の外を眺めるんです。空は・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ ウィーンのある男は厳重なる検閲のもとにウインドボイテルを六十九個平らげた。彼の敵手は決勝まぎわに腹痛を起こして惜敗したと伝えられている。 こういう種類の競技には登場者の体重や身長を考慮した上で勝敗をきめるほうが合理的であるようにも・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・ただ何となく軒端に菖蒲を葺いた郷国の古俗を想い浮べて、何かしら東西両洋をつなぐ縁の糸のようなものを想像したのであったが、後にまたウィーンの歳の暮に寺の広場で門松によく似た樅の枝を売る歳の市の光景を見て、同じような空想を逞しゅうしたこともあっ・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・ ゲッチンゲンから 去年の降誕祭は旅でしました。ウィーンで夜おそく町をうろついて、タンネンバウムを売っているのを見た時にちょうど門松と同じだと思ったのと、ヴェネディヒで二十五日の晩おびただしい人が狭い暗い町をただ・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ 明治四十二年の暮には南ドイツからウィーンを見物してヴェニスに泊ったのがちょうどクリスマスであった。クリスマスは旅人を感傷的にする夕だと誰かが云った通りである。薄暗い狭い路地のような町をゾロゾロ歩いている人通りを見ただけでああた。フ・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・ 上野で初めて第九が演奏されたのと、久野さんがウィーンに行かれ、やがてそこで命をすてられたのとはどっちが先のことであったろうか。久野さんはおそらく私の生涯に只一人の音楽の先生として記憶される方であろうが、こちらがすこしものを考えるように・・・ 宮本百合子 「きのうときょう」
・・・同時に、世界の文化的商業の面から、パリで売れる、ということが一つの商品価値証明のようになった。ウィーンで有名だった藤田嗣治、というのと、パリで有名だった藤田嗣治というのとでは、一般のうける印象がちがう。日本において彼の作品の商品価値がちがう・・・ 宮本百合子 「木の芽だち」
オーストリイのウィーン市のはずれに公園のように美しい墓地がある。そこに、ベートーヴェンの墓やモーツァルトの墓があった。偉大な音楽家の生涯にふさわしく、心をこめて意匠された墓が、晩春の花にかこまれてあるのを見た。 ポーラ・・・ 宮本百合子 「行為の価値」
・・・一九三〇年の春はウィーンその他でウクライナ美術展覧会をやった。 このウクライナ地方が革命までどんな扱いをうけていたかと云えば、大ロシアの支配者たちによって半植民地とされていた。ウクライナ地方の自国語で書くことは許されず、軍隊の中でさえ「・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・で一寸したヒステリーに関する科学的トリックを利用しつつ、ウィーンにおける親日支那青年李金成暗殺の物語を語るなかで、「支那人を捕える方法を知っていますか。それは在住支那人の数名のものを買収なさい。日本人を捕える時には、それは不可能ですが、支那・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
出典:青空文庫