・・・ 太古のエジプト人たちは、人間の生命は息と眼の中に宿るものだと考えた。もしそうでないなら、息がとまったとき死という現象が起り、眼の光が失われてつむったとき人間も死ぬということはない、と彼らは考えた。そして、生命という意味の象形文字は、自・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
・・・古代エジプトの文化のある種のものなどはエジプトの王朝が亡びると共に亡びた。今日有名なピラミッドや、スフィンクスが、何故、あの砂漠の真中に打ちたてられたろうか? 古代のエジプトの王が、全人民を奴隷として働かし得たからこそ、あの巨大なピラミッド・・・ 宮本百合子 「今日の文化の諸問題」
・・・いわばその眼は見開かれたっぱなしで、やがて太古エジプトの護符の「眼」のように呪文的にもち扱われた。文学は政治のあとに発生するものであるけれども、固有の狭い意味での政治と文学とは、機能のまったくちがう人間精神の二つの作業であるから、一つが一つ・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・ そうして、彼は伊太利を征服し、西班牙を牽制し、エジプトへ突入し、オーストリアとデンマルクとスエーデンを侵略してフランスの皇帝の位についた。 この間、彼のこの異常な果断のために戦死したフランスの壮丁は、百七十万人を数えられた。国内に・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・日本の蓮の花はインドのそれと同じ種類のものであるが、しかしこの種類は現在アジアの温かい地方と北オーストラリアとに限られていて、他の地方にはないと言われている。エジプトには昔はあったらしいが、今はない。日本へはたぶん、直接ではないにしても、と・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・その点においてはエジプトのピラミッドもローマのコロセウムも大阪城に及ばない(。しかもそういう巨大な人力をあの城壁に結晶させた豊太閤は、現代に至るまで三百余年間、京都大阪の市民から「偉い奴」であるとして讃美され続けて来たのである。そうしてこの・・・ 和辻哲郎 「城」
・・・我々がエジプトの彫刻に接して、その不思議な生きた感じに打たれるとき、我々は真実にエジプト人の血を受けるのである。我々が『イリアス』を読んでその雄渾清朗な美に打たれるとき、我々は真実にギリシア人の血を受けるのである。かくしてこそ我々は人類の内・・・ 和辻哲郎 「『劉生画集及芸術観』について」
・・・数百千の男女はエジプトの野を覆うという蝗の群れのように動いている。貴公は何ゆえに歩いてるかと問うと用事があるからだと言う、何ゆえに用事があるかと問うと、おれは商売をしている、遊んでるのじゃないと答える。商売は金のためで金は欲のためである。生・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫