・・・保吉は何かほっとしながら、二三人しか乗客のいないのを幸い、長ながとクッションの上に仰向けになった。するとたちまち思い出したのは本郷のある雑誌社である。この雑誌社は一月ばかり前に寄稿を依頼する長手紙をよこした。しかしこの雑誌社から発行する雑誌・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・俺は両側を二人の特高に挾さまれて、クッションに腰を下した。これは、だが、これまでゞ何百人の同志を運んだ車だろう。俺は自分の身のまわりを見、天井を見、スプリングを揺すってみた。 六十日目に始めてみる街、そしてこれから少なくとも二年間は見る・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・君が生前、腰かけたままにやわらかく窪みを持ったクッションが、いつまでも、私の傍に残るだろう。この人影のない冷い椅子は、永遠に、君の椅子として、空席のままに存続する。神も、また、この空席をふさいで呉れることができないのである。ああ、私の愛情は・・・ 太宰治 「思案の敗北」
・・・今私はこの手紙を、二階の部屋のベッドに仰向きになって背中の方へクッションをつめて、板に紙をのっけてかいているのですが。そして、こんな形で手紙をかかなければならないことについて、小さくなっています。二日の夜、夕飯後、急におなかが苦しくなって、・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・母親や娘は、彼女等の手芸、刺繍、パッチ・ウワーク等を応用して、暇々に、新たな壁紙に似合う垂帳、クッション、足台等を拵える。 公共建築や宮殿のようなものは例外として、中流の、先ず心の楽しさを得たい為に、居心地よい家を作ろうとするような者は・・・ 宮本百合子 「書斎を中心にした家」
・・・書もの卓子などがあるが、下は、韃靼風によく磨いた床に色彩の濃い敷物と沢山のクッションが置いてある。 韃靼の年よりは別に説明もせず、ただ先に立って戸という戸を勢よくあけ、次から次へ内を見せるのである。戸をあけ、自分はこっちに立って手でサア・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・ 青い椅子によって柔いクッションに黒い髪の厚い頭をうずめて一つ処を見つめて話しつづける肇は自分で自分の話す言葉に魅せられて居る様に上気した顔をして居た。 千世子はだまって肇の長い「まつ毛」を見て居た。 自分の過去なり現在なりをま・・・ 宮本百合子 「蛋白石」
・・・ そうして頭を後のクッションにうずめると泣きつかれた子供の様に夢ばっかりの多い眠りに入った。 ややしばらく立って目をさました時躰に羽根布団がかけられてわきに電気のスタンドがふくれた色にともって居た。 顔を手の甲でこすりながら不精・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・彼はここまで運ばれて来て、クッションの上に両足をのばして安楽椅子にかける。私は、その直ぐそばのもう一つの安楽椅子にかける。そうして六時までもそうしている。」マリアは全部白ではあるが、布地とつやの様々の変化を美しくあしらった部屋着を着ている。・・・ 宮本百合子 「マリア・バシュキルツェフの日記」
・・・と云って白いクッションに頭を埋めたまま淋しい深い森の中にまよっている夢に入りました。翌日も翌日も女は年の若い詩人の耳に謎のような事をささやいていました。十日たってからの朝小い旅人は女に云いました。詩「お姉様私の頭には詩が一っぱいになりま・・・ 宮本百合子 「無題(一)」
出典:青空文庫