コリントしき【コリント式】
古代ギリシャ建築の列柱様式の一。ドリス式・イオニア式よりのちに成立。アカンサスの葉を飾った華麗な柱頭が特色。
コリントしょ【コリント書】
⇒コリント人 (びと) への手紙
コリントびとへのてがみ【コリント人への手紙】
新約聖書の中の、使徒パウロがコリントの教会に送った2通の手紙。第1の手紙は教会内に生じた諸問題に対して、実際的解決と指導を与えたもので、第2の手紙は前書に対する反響に答えたもの。コリント書。コリントの信徒への手紙。
コリントようしき【コリント様式】
「コリント式」に同じ。
コリントいせき【コリント遺跡】
《Palaia Korinthos/Παλαιά Κόρινθος》ギリシャ南部の都市コリントにある都市遺跡。現在のコリントから内陸に約8キロメートル入った場所に位置する。紀元前8世紀頃にドリス人のポリス(都市国家)が成立。交通の要地であるコリント地峡を擁し、商工業都市として発展した。紀元前2世紀頃に衰退したが、古代ローマ時代に属州の州都として再び繁栄。ドリス式の列柱をもつアポロン神殿は紀元前6世紀頃のものとされ、同国に現存する神殿の中で最も古いものの一つ。音楽堂、ピレーネの泉、エウリクレスの大浴場をはじめ、古代ローマ時代に造られたものが多い。考古学博物館には紀元前8世紀から7世紀頃のコリント式陶器などの出土品が展示されている。コリントス遺跡。コリンソス遺跡。
コリントうんが【コリント運河】
《Dioriga Korinthou/Διώρυγα Κορίνθου》ギリシャ南部の都市コリントの郊外にある運河。交通の要衝として古代都市コリントの繁栄を支えたコリント地峡に運河を造るという考えは紀元前7世紀からあり、古代ローマ皇帝ネロにより実際に大規模な工事が行われ、約3キロメートル開削された。近代になって再び運河建設の機運が高まり、1882年にフランス企業により工事が始まり、1893年に閘門 (こうもん) をもたない水平式運河として完成した。コリント湾とサロニコス湾(テルマイコス湾)を結び、その航程を約370キロメートル短縮したが、幅が狭いため大型貨物船は通ることができず、観光船の通航に利用されることが多い。コリントス運河。コリンソス運河。
コリントちきょう【コリント地峡】
《Isthmos tis Korinthou/Ισθμός της Κορίνθου》ギリシャ南部の都市コリントの郊外にある、ギリシャ本土とペロポネソス半島を結ぶ地峡。古代ギリシャ時代にはイストモス(地峡)と呼ばれ、交通の要衝として古代都市コリントの繁栄を支えた。1893年にコリント運河が完成し、コリント湾とサロニコス湾(テルマイコス湾)が結ばれた。コリントス地峡。コリンソス地峡。