・・・ ここまで書いた時に宅のラジオが鳴り出して、バッハのト短調、チェンバロ・コンチェルトというのを聞かせてくれた。いつ聞いても心持の悪くないものはこういう古典的な音楽である。からだ中の血液の濁りを洗うような気がする。こういうものが、うちの机・・・ 寺田寅彦 「ラジオ雑感」
・・・では、コンチェルトにかわってゆく。 そして、「伸子」がそう変ってゆくことこそ現代のすべての人々の善意にとっての自然ではないだろうか。こんにちの社会で、理性ある平和を愛し、人間の尊重と発展とを願うひとは、ヒューマニティの課題として自身の幸・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
・・・ ショルツ氏についてコンチェルトを弾く位だったひとが、結婚した良人がシントーイスムでピアノにさわれずいたずらに年を経ている例がある。 自由学園の音楽教育などは、日々の常識のなかで、そういう非人間的なものを減らして行く役に立つのだろう・・・ 宮本百合子 「きのうときょう」
出典:青空文庫