・・・この若く美しい夫人がスクリーンで見る某映画女優と区別の出来ないほどに実によく似ていた。 橋を渡る頃はまた雨になって河風に傘を取られそうであった。大きな丸太を針金で縛り合せた仮橋が生ま生ましく新しいのを見ると、前の橋が出水に流されてそのあ・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・ たとえば、スクリーンの映像では、その空間的位置がちゃんと決定されているのに、音響のほうは、聞いただけでその音源の位置を決定する事ができない。この事がいろいろ問題になっているが、文楽でこの問題はつとに解決されている。すなわち、たとえば、・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・これに反して映画のほうでは、スクリーンの上の光像はまさしく二次元の平面であるにかかわらず、カメラの目が三次元的に移動しているために、観客の目はカメラの目を獲得することによってかえってほんとうに三次元的な空間の現象を観察することができる、とい・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・コローの絵を想い出させるようなフランスの田舎の幻像がスクリーンの上を流れて行く、老人と子供が雪夜の石段を下りて来る図や、密航船の荷倉で人参をかじる図なども純粋に挿画的である。 三 管弦楽映画 ベルリンフィルハルモニ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・所定曲目モザルトの一曲を弾いているうちにいつか頭が変になって来て、急に嵐のような幻想曲を弾き出す、その狂熱的な弾奏者の顔のクローズアップに重映されて祖国の同志達の血潮に彩られた戦場の光景が夢幻のごとくスクリーンの面を往来する。 これは別・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・ これらの音につれてスクリーンに現われる映像は、ただの殺風景な兵隊の行列である。これがその場面場面でいろいろの違ったパースペクチヴで銀幕上に映出され進行する。始めにヒロインとその保護者がこの行列を見送る場面ではヒロインと観客は静止してい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 池へ投身しようとして駆けて行くところで、スクリーンの左端へ今にも衝突しそうに見えるように撮っているのも一種の技巧である。これが反対に画面の右端を左へ向いて駆けって行くのでは迫った感じが出ないであろう。 妖精の舞踊や、夢中の幻影は自・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・たとえば拍手している多数の手がスクリーンの上に対角線状に並んで映る。それ自身としてはくだらないものである。これが插入の呼吸で実に不思議なおもしろいものに見えるのである。それからもう一つのおもしろみの原因は登場するキャストの選定によって現わさ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・そうして全速力で走り出す。スクリーンの面で船や橋や起重機が空中に舞踊し旋回する。その前に二人の有頂天になってはしゃいでいる姿が映る。そうしたあとで、テナシティのデッキの上から「あしたは出帆だ」とどなるのをきっかけに、画面の情調が大きな角度で・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・本箱の上に釘を二本立ててその間にわずかに三寸四角ぐらいの紙を張ったのがスクリーンである。ほぼこれと同大のガラス板に墨と赤および緑のインキでいいかげんな絵を描いたのをこの小さなスクリーンの直接の背後へくっつけて立てて、その後ろに石油ランプを置・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
出典:青空文庫