・・・なんていう蛮カラ的の事は要せぬようになりまして、男子でも鏡、コスメチック、頭髪ブラッシに衣服ブラシ、ステッキには金物の光り美しく、帽子には繊塵も無く、靴には狗の髭の影も映るというように、万事奇麗事で、ユラリユラリと優美都雅を極めた有様でもっ・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
・・・と自分は後の事は何んにも知らずに、ステッキを振り廻しながらとことこと出て行ったけれど、二人はついにこれが永き別れとなったのである。 もちろんこの時には、借りた着物はもう着換えていた。着換えるまで自分は何の気もなしにいたけれど、こうして島・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・老博士も、やはり世に容れられず、奇人よ、変人よ、と近所のひとたちに言われて、ときどきは、流石に侘びしく、今夜もひとり、ステッキ持って新宿へ散歩に出ました。夏のころの、これは、お話でございます。新宿は、たいへんな人出でございます。博士は、よれ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ それから、三日たって、私が仕事のことよりも、金銭のことで思い悩み、うちにじっとして居れなくて、竹のステッキ持って、海へ出ようと、玄関の戸をがらがらあけたら、外に三人、浴衣着た父と母と、赤い洋服着た女の子と、絵のように美しく並んで立って・・・ 太宰治 「黄金風景」
・・・気の弱い、情に溺れ易い、好紳士に限って、とかく、太くたくましいステッキを振りまわして歩きたがるのと同断である。大隅君は、野蛮な人ではない。厳父は朝鮮の、某大学の教授である。ハイカラな家庭のようである。大隅君は独り息子であるから、ずいぶん可愛・・・ 太宰治 「佳日」
・・・熊本君は、紺絣の袷にフェルト草履、ステッキを持っていた。なかなか気取ったものであった。佐伯は、れいの服装に、私の着物在中の風呂敷包みを持ち、私は小さすぎる制服制帽に下駄ばきという苦学生の恰好で、陽春の午後の暖い日ざしを浴び、ぶらぶら歩いてい・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ たいてい洋服で、それもスコッチの毛の摩れてなくなった鳶色の古背広、上にはおったインバネスも羊羹色に黄ばんで、右の手には犬の頭のすぐ取れる安ステッキをつき、柄にない海老茶色の風呂敷包みをかかえながら、左の手はポッケットに入れている。・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・それで子供にステッキを持たせて遊戯のような実験をやらせれば、よくよく子供の頭が釘付けでない限り、問題はひとりでに解けて行く。塔に攀じ上らないでその高さを測り得たという事は子供心に嬉しかろう。その喜びの中には相似三角形に関する測量的認識の歓喜・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・その家の窓からおかみが置き忘れたステッキを突きだすのを、取ろうとすると、スルスルと仕込みの白刃が現われる。ドック近くの裏町の門々にたたずむ無気味な浮浪人らの前をいばって通り抜けて川岸へくると護岸に突っ立ったシルクハットのだぶだぶルンペンが下・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・(Ice.)steik は steka と親類で英語の stick すなわちステッキと関係があり、串に刺して火にあぶる「串焼き」であったらしい。このステッキがドイツの stechen につながるとすると今度は「突く」「つつく」が steik・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
出典:青空文庫