・・・急にスポーツをやめた故か、人の顔をみると涙がでる、生つばがわく、少しほてる。からだが松葉で一面に痛がゆくなる。『芸術博士』に応募して落ちた時など帯を首にまきつけました。ドストエフスキイ流行直前、彼にこって、タッチイを臭い文学理論でなやまし、・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 夏になると、この地方の青年たちの間で、にわかにスポーツ熱がさかんになりました。私には多少、年寄りくさい実利主義的な傾向もあるのでしょうか、何の意味も無くまっぱだかになって角力をとり、投げられて大怪我をしたり、顔つきをかえて走って誰より・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・ 四 その夜の真心 前説と同様な意味で、この映画はたとえ何十回競馬を見物に行っても味わうことの六かしいと思われる競馬というスポーツの最高度のスリルを味わわせる映画で、すべての物語の筋道などは、ただこのクライマックス・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・アフリカでは食うことの不自由はないであろうからやはり生命の敵に対する防衛の便宜から自然に集団生活に慣らされたのか、それとも生殖の便宜からか、あるいはスポーツのためだか自分にはわからない。それはとにかくアフリカ映画でこれらのたくさんな動物の群・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・それからまた鹿狩りの場に現われた貴族的なスポーツ風景は国粋主義の紳士淑女を喜ばすものであり、シャトーにおける生活の空虚と痴愚を露骨に風刺する多数の画面は卑近な民衆イデオロギーに迎合するものであろう。その中で比較的成効しているのは、サヴィニャ・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・ 鳥羽僧正の鳥獣戯画なども当時のスポーツやいろいろの享楽生活のカリカチュアと思って見ればこの僧正はやはり一種のカメラをさげて歩いた一人であったかもしれない。この僧正にアメリカ野球選手との試合を記録させなかったのは残念である。 新東京・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・ スポーツの好きな人がスポーツを見ているとやはり同様な興奮状態に入るものらしい。宗教に熱中した人がこれと似よった恍惚状態を経験することもあるのではないか。これが何々術と称する心理的療法などに利用されるのではないかと思われる。 酒やコ・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・ 人間ばかりかと思うと、猫などが喜んで紙を丸めたボールをころがすのが、なんら直接功利的な目的があってするとは思われないから、やはりスポーツの一種らしく思われる。尤もこれは結果から見ると鼠を捕えたりするときに必要な運動の敏活さを修練するに・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・は鉄砲で打つのと比べれば実に原始的な方法のようであるが、また考え方によると一つのスポーツとしてはかなり興味の深いものではないかという気もする。単になるべく沢山の鳥を殺して猟嚢を膨らませるという目的ならとにかく、獲物と相対してそれに肉薄する緊・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・ 登山流行時代の今日スポーツの立場から嶮岨をきわめ、未到の地を探り得てジャーナリズムをにぎわしたような場合でも、実は古い昔に名の知れない測量部員が一度はそこらを縦横に歩き回ったあとかもしれない。 上には上がある。測量部員が真に人跡未・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
出典:青空文庫