・・・あの作品は、とかくチャイコフスキーのスラブ的なものというものに足をとられて演奏されることが多く、その結果はかえって作品の生命感を弱めたり甘くしたりする場合が多い。これまでは、どことなくそんな傾きの伴った「悲愴」をよく聴いたような気がする。・・・ 宮本百合子 「音楽の民族性と諷刺」
・・・広大な地域をなかばアジアになかば西欧にしめるスラブ人も、イタリーや、フランスがそれを経験したようには経験しなかった。近ごろ、シェクスピアの芸術が、ルネッサンス時代における人間解放の典型としてふたたび評価されている。日本でも、近ごろ「真夏の夜・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・ モスクワ人は馬車にあふれる程荷物をつみこみ、而も、たとえばステーション前などではスラブ人的忍耐を極度に活用して、賃銀協定をやるのであった。こういう事情がなかったら、裏のいたんだ外套をそのまま着ている小さい日本女が、どうして二ルーブリ、・・・ 宮本百合子 「モスクワの辻馬車」
出典:青空文庫