・・・宿の定さんも、二階で泊った女づれのハイカラも来る。頬の恐ろしく膨れた、大きなどてらを着た人相のよくない男が艫の甲板の蓆へ座をしめてボーイの売りに来た菓子を食っている。その向いに坐った目の赤いじいさんと相撲の話をしている。あるいは相撲取かも知・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・だけれど健ちゃんこのごろ少し遊びだしたようで……今年の春も、えらいハイカラな風してきたのや。洋行でもするようなお荷物でもって。ちょっとも私なんかと話しちゃいないですわ。方々飲みあるいてばかりいるんです。年もゆかないのに大酒飲みやさかえ、私も・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 銀座界隈はいうまでもなく日本中で最もハイカラな場所であるが、しかしここに一層皮肉な贅沢屋があって、もし西洋そのままの西洋料理を味おうとしたなら銀座界隈の如何なる西洋料理屋もその目的には不適当なる事を発見するであろう。銀座の文明と横浜の・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・其処へ行くと哀れや、色さまざまのリボン美しといえども、ダイヤモンド入りのハイカラ櫛立派なりといえども、それらの物の形と物の色よりして、新時代の女子の生活が芸術的幻想を誘起し得るまでには、まだまだ多くの年月を経た後でなければならぬ。新時代の芸・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・他の女給仕人のように白粉もさして濃くはせず、髪も縮らさず、箆のような櫛もささず、見馴れた在来のハイカラに結い、鼠地の絣のお召に横縦に縞のある博多の夏帯を締めていた。顔立は面長の色白く、髪の生際襟足ともに鮮に、鼻筋は見事に通って、切れ長の眼尻・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・それはよほどハイカラです、宜しくない。虚偽でもある。軽薄でもある。自分はまだ煙草を喫っても碌に味さえ分らない子供の癖に、煙草を喫ってさも旨そうな風をしたら生意気でしょう。それをあえてしなければ立ち行かない日本人はずいぶん悲酸な国民と云わなけ・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・まれたるこの果し状を真平御免蒙ると握りつぶす訳には行かない、いやしくも文明の教育を受けたる紳士が婦人に対する尊敬を失しては生涯の不面目だし、かつやこれでもかこれでもかと余が咽喉を扼しつつある二寸五分のハイカラの手前もある事だから、ことさらに・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・とネネムが緑色の大へんハイカラなばけものをゆびさしました。「そうです。」みんなは声をそろえて云います。「よろしい。こら。その方は、あんなあわれなかたわを使って一銭のマッチを十円に売っているとは一体どう云うわけだ。それに三十二人も人を・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・――三十五になる、村ではハイカラな女であった。彼女は東京に出て、墓地を埋めて建てた家を知らずに借りて住んだ。そこで二人目の子供を産んで半月立った或る夕方、茶の間に坐っていた女がいきなり亭主におこりつけた。「いやな人! 何故其那に蓮の花な・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・そういう姿にある時代錯誤の感じは、単なるハイカラ的見地からでなく現代の世界が使用している武器の機械的な強力さや精緻さは子供だって知っているのだから、女の子がなまじそんな木剣を背負って行進したりするところには、ちかごろ流行の詩吟や黒紋付姿同様・・・ 宮本百合子 「女の行進」
出典:青空文庫