・・・久留米絣の着物にハンチング、濃紺の絹の襟巻を首にむすんで、下駄だけは、白く新しかった。妻にもコオトがなかった。羽織も着物も同じ矢絣模様の銘仙で、うすあかい外国製の布切のショオルが、不似合いに大きくその上半身を覆っていた。質屋の少し手前で夫婦・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・早春の或る日、黄村先生はれいのハンチング(ばかに派手な格子縞そのハンチングを、若者らしくあみだにかぶって私の家へ遊びに来て、それから、家のすぐ近くの井の頭公園に一緒に出かけて、私はこんな時、いつも残念に思うのだが、先生は少しも風流ではないの・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・彼のような男は、七十歳になっても、八十歳になっても、やはり派手な格子縞のハンチングなど、かぶりたがるのではないでしょうか。外面の瀟洒と典雅だけを現世の唯一の「いのち」として、ひそかに信仰しつづけるのではないでしょうか。昨年、彼が借衣までして・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・白麻のハンチング、赤皮の短靴、口をきゅっと引きしめて颯爽と歩き出した。あまりに典雅で、滑稽であった。からかってみたくなった。私は、当時退屈し切っていたのである。「おい、おい、滝谷君。」トランクの名札に滝谷と書かれて在ったから、そう呼んだ・・・ 太宰治 「座興に非ず」
・・・派手な大島絣の袷に総絞りの兵古帯、荒い格子縞のハンチング、浅黄の羽二重の長襦袢の裾がちらちらこぼれて見えて、その裾をちょっとつまみあげて坐ったものであるが、窓のそとの景色を、形だけ眺めたふりをして、「ちまたに雨が降る」と女のような細い甲・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・黒無地の紬の重ねを着てハンチングを被り、ステッキを持って旅に出かけたのである。身なりだけは、それでひとかどの作家であった。 私が出かけた温泉地は、むかし、尾崎紅葉の遊んだ土地で、ここの海岸が金色夜叉という傑作の背景になった。私は、百花楼・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・頸がひょろひょろ長く、植物のような感じで、ひ弱く、感冒除けの黒いマスクをして、灰色の大きすぎるハンチングを耳が隠れてしまっているほど、まぶかに被り、流石にその顔は伏せて、「金を出せえ。」こんどは低く、呟くように、その興覚めの言葉を、いか・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・けれども私は、その身長に於いても、また顔に於いても、あるいは鼻に於いても、確実に、人より大きいので、何かと目ざわりになるらしく、本当に何気なくハンチングをかぶっても、友人たちは、やあハンチングとは、思いつきだね、あまり似合わないね、変だよ、・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・――高島貞喜は、学生たちが停車場から伴ってきたが、黒い詰襟の学生服を着、ハンチングをかぶった小男は、ふとい鼻柱の、ひやけした黒い顔に、まだどっかには世なれない少年のようなあどけなさがあった。「フーン、これがボルか」 会場の楽屋で、菜・・・ 徳永直 「白い道」
出典:青空文庫