・・・ M子のために買ってやったフランス語の第一課を見たら〔欧文約十八語抹消〕「忍耐は日常不断の勇気である」又〔欧文約十二語抹消〕「天才とは永き忍耐である」等、一寸洒落た文句があって、これはあなたも目をおとめになりそうであるから、お互のクリス・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 朝 ロク 洗面所で「この頃 **人が 石川湧にフランス語を習ってるんだって」「フーム」「唯ケンを出てしまったんだってね 盛ニユイケンのわる口 云ってたそうだ」「こわくなってやめたんだろう この頃狙われてるから」「ナ・・・ 宮本百合子 「心持について」
・・・後者は、こんにち日本の銀座にジュリアン・ソレルという服飾店などがあることを、アルジェリア女の口からきくパリまがいのフランス語とひとしく、その人々のためにまたフランスの良心のために汗ばむ思いで見ているわけである。 民主主義文学の批評の能力・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・だがこういう握手―― ――フランス語おはなしなさいますか? まわりがあまり静かすぎるのと一緒に日本女は気がむしゃついた。 ――私どもなら話しますからどうぞ。 ――英語は残念ながら私にわかりません。 エレーナ・アレクサンド・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・片山潜がアムステルダムの大会で演説をしたとき、ドイツ語の通訳はクララ・ツェトキンがやり、フランス語へはローザが翻訳して大衆に伝えたという話をきいたことがあった。 片山潜は、ローザの熱情あふれた才能につよく心をひかれた様子で、うむ、あれは・・・ 宮本百合子 「生活の道より」
・・・ 帝政ロシアの貴族たちはフランス語で話した。中国の「台湾ぐみ」も自分の国語を二つもっている連中である。民衆は常にその民族の言葉を話す。〔一九五〇年六月〕 宮本百合子 「長寿恥あり」
・・・日 葬式 雨 十月二日 ひどい風 十二時まで眠る夜八時すぎ板倉見まい モンパルナスの角でコーヒーをのみマデレーヌからタクシー 十月三日雨 Mと衝突した 四日雨 金 フランス語Madam H Rag・・・ 宮本百合子 「「道標」創作メモ」
・・・彼女等はフランス語を母国語のように喋った。ドイツ語で夢を見、ドイツ語で哲学、文学の本をよんだ。音楽、ダンス、手芸。立派な家庭教師を雇ったり、女学校へ馬車で通わしたり、親たちはドシドシ娘を仕込んだ。親の目的は世界の俗っぽい親の目的どおり到って・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
・・・いて帰ってみると、品物が先へ届いていた事や、それからパリイに滞在していて、或る同族の若殿に案内せられてオペラを見に行った時、フォアイエエで立派な貴夫人が来て何か云うと、若殿がつっけんどんに、わたし共はフランス語は話しませんと云って置いて、自・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・私は今でも君に欺かれたとは信ぜない。 ―――――――――――― 十二月になった。私が小倉に来てから六月目、F君が私の跡を追って来てから三月目である。私はフランス語の稽古を始めて、毎日夕食後に馬借町の宣教師の所へ通うこ・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫