・・・ 艫の方の横木に凭れて立っている和服にマント鳥打帽の若い男がいちばんの主人株らしい、たぶん今日のプログラムを書いてあるらしい紙片を手に持って立っている。その傍に花火を入れた箱があって、助手がそこから順々に花火の玉を出して打手に渡す。・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・毎日の仕事に疲れた頭をどうにかもみほごして気持ちの転換を促し快いあくびの一つも誘い出すための一夕の保養としてはこの上もないプログラムの構成であると思われる。むしろ無意味に笑ったり、泣いたりすることの「生理的効果」のほうが実は大衆観客のみなら・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・それでせっかくこんなに子供のように笑ったあとで、それから後のプログラムの名優達の名演技を見て緊張し感嘆し疲労するのは、少なくも今日の弛緩の半日の終曲には適しないと思ったので、すぐに劇場を出て通りかかった車に乗った。車はいつもとちがう道筋をと・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・科会を見てから日本橋辺へ出て昼飯を食うつもりで出掛けたのであったが、あの地震を体験し下谷の方から吹上げて来る土埃りの臭を嗅いで大火を予想し東照宮の石燈籠のあの象棋倒しを眼前に見ても、それでもまだ昼飯のプログラムは帳消しにならずそのままになっ・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・ところがこれをニュース映画で見ると、儀式のプログラムの全体としての構成次第などはよくわからず、演説したり挨拶したりする人がだれだかよくわからなかったりすることもある。そのかわりにそのカメラの視野内に起こった限りの現象は必然的なものも偶然的な・・・ 寺田寅彦 「ニュース映画と新聞記事」
・・・ 会堂内で葬式のプログラムの進行中に、突然堂の一隅から鋭いソプラノの独唱の声が飛び出したので、こういう儀式に立ち会った経験をもたない自分はかなりびっくりした。あとで聞いたら、その独唱者は音楽学校の教師のP夫人で、故人と同じスカンジナビア・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・御菜のプログラムぐらい訳ないじゃないか」「それが容易く出来るくらいなら苦にゃならないさ。僕だって御菜上の智識はすこぶる乏しいやね。明日の御みおつけの実は何に致しましょうとくると、最初から即答は出来ない男なんだから……」「何だい御みお・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・より以来、余が猜疑心はますます深くなり、余が継子根性は日に日に増長し、ついには明け放しの門戸を閉鎖して我黄色な顔をいよいよ黄色にするのやむをえざるに至れり、彼二婆さんは余が黄色の深浅を測って彼ら一日のプログラムを定める、余は実に彼らにとって・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・天幕の入口で、私たちはプログラムを受け取りました。それには表に ビジテリアン大祭次第挙祭挨拶論難反駁祭歌合唱祈祷閉式挨拶会食会員紹介余興 以上と刷ってあり私たちがそれを受け取った時丁度九・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・は、人間の善意が、次第に個人環境のはにかみと孤立と自己撞着から解きはなされて現代史のプログラムに近づいてゆく、その発端の物語としてあらわれる。 一九四九年六月〔一九四九年七月〕・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
出典:青空文庫