・・・ たまたまその日がメーデーだったので、新聞はその方に多くのスペースを割かねばならず、大阪の片隅に起ったそんな出来事なぞ、どうでもよかったからだ――というわけではない。 もっとも、事件そのものは取るに足らぬ些事に過ぎなかった。事件とい・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・ それが、メーデーに於ける彼等の、せめてもの心慰めだった。 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・ けれども日本の一九三七年はメーデーを正式に禁止し、蘆溝橋事件をきっかけに中国への侵略戦争が拡大されつつあった。日独伊防共協定が調印されて、国民精神総動員中央連盟が結成された。ブェノスアイレスの第十四回国際ペンクラブ大会へ出席した島崎藤・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・「ワルシャワのメーデー」「スモーリヌイに翻る赤旗」そのほかは、かえって来てから一九三一年にかかれている。「ピムキン、でかした!」は、その年のはじめに日本プロレタリア作家同盟へ参加してから、農民文学のための雑誌『農民の旗』へかいたものだと・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第八巻)」
・・・という格言を一分も忘れない企業家の利益のために使われていることの人間らしくなさに苦しんで、アメリカの労働者は、はじめてのメーデーに八時間の労働、八時間の休息、八時間の教育というスローガンをかかげたのであった。 労働時間のことは、労働組合・・・ 宮本百合子 「いのちの使われかた」
・・・ すばらしいメーデーの飾をみようとして、広場に集まる群衆は一時過ぎてもたえなかった。 ソヴェト同盟で、社会主義的社会建設のために全プロレタリアートが闘っている。農民が闘っている。あらゆる芸術家が同時にそのたたかいに参加している。・・・ 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
メーデーからはじまって、五月は国民一般の祝日の多い月だった。憲法記念祭、子供の日、母の日。どれをとっても、それぞれに新しい日本に生きるよろこびとはげましと慰藉とを意味しないものはなかった。そしてそれらすべての心がめざすとこ・・・ 宮本百合子 「鬼畜の言葉」
・・・が、その連中は会社側が渡した日の丸の旗を振ることを大衆的に拒絶し、プラットフォームで戦争反対の演説をやって、メーデー歌を合唱したという話がある。又、ストライキに入った第一日に従業員出身の現役兵が籠城中の争議団員のところへやって来て、一緒に「・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・決して、プロレタリア暦の上の形式的一カンパの日ではない。メーデーを目ざして、われわれが反動支配階級の文化にたいして決定的闘争を高めてゆく、その血の通った一環として理解されなければならないのだ。 例えばプロレタリア・農民の男が、ファシズム・・・ 宮本百合子 「国際無産婦人デーに際して」
・・・ ソヴェト全勤労者の祭日であるメーデーの前日からモスクワ市は一切酒類を売らせなかった。 当日は全市電車がない。乗合自動車もない。赤旗と祝祭の飾りものの間に十数万の勤労者の跫音がとどろいた。インターナショナルの高い奏楽と、空から祝いを・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
出典:青空文庫