この本に集められている作物は、殆どみんなモスクで書かれたものだ。一九二八年の春から、一九三〇年の秋まで。少し、日本にかえってから書いたものも入っている。 ソヴェト同盟における三年間の滞在は、実に自分に多くのものを教えた・・・ 宮本百合子 「若者の言葉(『新しきシベリアを横切る』)」
「伸子」の続篇をかきたい希望は、久しい間作者の心のうちにたくわえられていた。 一九三〇年の暮にモスクから帰って、三一年のはじめプロレタリア文学運動に参加した当時の作者の心理は、自分にとって古典である「伸子」を、過去の作品・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
・・・ 一九三四年八月十七日から半月の間モスクで「五十二の民族、五十二の言葉、五十二の文学」を一堂にあつめて第一回全ソヴェト同盟作家大会が行われた。そのとき、フランスからロマン・ロラン、バルビュス、マルローその他の作家が招待された。招待された・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・ 人前で物をいうようになったきっかけは、奇妙なことにモスクにいた時である。三月の或る記念日に、或るクラブへ行った。皆の腰かけている平土間の座席におられるものと思いこんで行ったら、その横を通りすぎて、計らずも数人の人の並んでいる演台の上へ・・・ 宮本百合子 「打あけ話」
・・・ 十月にはいると、モスクは晩秋だ。 並木道がすっかり黄色くなり、深く重りあった黄色い秋の木の葉のむこうに、それより更に黄色く塗られたロシア風の建物の前面が見える。よく驟雨が降った。並木道には水たまりが出来る。すぐあがった雨のあとは爽・・・ 宮本百合子 「「鎌と鎚」工場の文学研究会」
・・・ モスクで、私の暮したホテルはパッサージという名で、今ゴーリキイ通となった大通りにあった。冬の凍った三重窓に青く月の光がさして、夜の十二時にクレムリから大時計の音楽の一くさりが響いて来た。窓の前は、モスク夕刊新聞の屋上で、クラブになって・・・ 宮本百合子 「カメラの焦点」
・・・昭和二年――五年モスクその他旅行。昭和七年一月結婚。著書、「貧しき人々の群」「一つの芽生」「伸子」「新しきシベリアを横切る」「冬を越す蕾」「昼夜随筆」「乳房」現代日本文学全集中「中條百合子集」文芸家協会々員、日本ペン倶楽部会員、評論家協会々・・・ 宮本百合子 「「現代百婦人録」問合せに答えて」
・・・―― モスクのメーデーの光景が思い出され、自分は濤のように湧き起る歌を全身に感じた。 立て 餓えたるものよ 今ぞ日は近し これは歴史の羽音である。自分は臭い監房の真中に突立ち全く遠ざかってしまうまで飛行機の爆音に耳を澄し・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・その前日には、疲れているのに無理であったが北極探険隊の遭難とその救助とモスクの歓迎との実写映画を見てまだ生きていたゴーリキイがスタンドで感動し涙をハンケチで拭いている情景を見ました。五十銭です。何というやすいことでしょう。きょう『日本経済年・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ この年六月十八日にマクシム・ゴーリキイがその多彩多産な六十八年の生涯をモスクで終ったことは、世界に少なからぬ感動をつたえた。ゴーリキイをしてしかく人類的な光彩ある活動と、才能の満開とを可能ならしめた社会の文化的条件を想い、翻ってその招・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
出典:青空文庫