・・・が依然として、街頭のパンやライスカレーは姿を消さず、また、梅田新道の道の両側は殆んど軒並みに闇煙草屋である。 六月十九日の大阪のある新聞に次のような記事が出ていた。「大阪曾根崎署では十九日朝九時、約五十名の制服警官をくり出して梅・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・千日前の愛進館で京山小円の浪花節を聴いたが、一人では面白いとも思えず、出ると、この二三日飯も咽喉へ通らなかったこととて急に空腹を感じ、楽天地横の自由軒で玉子入りのライスカレーを食べた。「自由軒のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ロシヤでは、ライスカレーでも、手で食べるそうだ。 太宰治 「食通」
・・・薬味のさまざまに多いライスカレーをくって氷で冷やしたみかん水をのんで、かすかな電扇のうなり声を聞きながら、白服ばかりの男女の外国人の客を見渡していると、頭の中がぼうとして来て、真夏の昼寝の夢のような気がした。 植物園へはいる。芝生の上に・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ある人は間違えてこれをライスカレーといった。これはあまり気持ちのいい物ではない。あの手すりの上をすべって行くゴムの帯もなんだか蛇のようで気味が悪いと言った人もある。自分はある日ここで妙な連想を起こした事がある。自分の子供を小学校へ入れてやる・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
出典:青空文庫