・・・ おかっぱに洋装の女の子もあれば、ズボンにワイシャツ、それに下駄ばきの帳場の若い男もある。それが浴衣がけの頬かぶりの浴客や、宿の女中たちの間に交じって踊っている不思議な光景は、自分たちのもっている昔からの盆踊りというものの概念にかなりな・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・ブンゼン燈のバリバリと音を立てて吹き付ける焔の輻射をワイシャツの胸に受けながらフラスコの口から滴下する綺麗な宝石のような油滴を眺めているのは少しも暑いものではなかった。 夕方井戸水を汲んで頭を冷やして全身の汗を拭うと藤棚の下に初嵐の起る・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・上着もチョッキも着ないで、ワイシャツのままで出て来た。そしていきなり大きな葉巻き煙草を出して自分にも吸いつけ私にもすすめた。 ドイツ語は少しも話せず、英語もきわめてまずかった私がどんな話をしたかほとんど全く覚えていない。ただ私がヴァイオ・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・しかし、日本へ来ている西洋人が夏は好んで浴衣を着たり、ワイシャツ一つで軽井沢の町を歩いたりすることだけを考えても、和服が決して不合理なものばかりでないということの証拠がほかにもいろいろ捜せば見つかりそうに思われる。しかしおかしい事には日本の・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・その一人はワイシャツ一つになって体操をしてみたり、駆け足のまねをしてみたり、ピッチャーの様子をしたりしている。もう一人は悠然としてズボンのかくしに手を入れ空を仰いで長嘯漫歩しているふぜいである。空はまっさおに、ビルディングの壁面はあたたかい・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・彼はとっさにワイシャツとズボンを脱ぎすてて叫んだ。「先生もみんなを手伝うぞ! みんなの仲間入りするぞ!」そうして、素早く雑巾を握ると、まるで夜のあけたような心で割り込んで行った。生徒たちが若い先生の主観的な亢奮ぶりにキョトンとすると、彼は「・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・ 強盗が、カラーをとったワイシャツの上に縞背広の上衣だけきて入れられて来たが、留置場は冷淡な空気であった。何もとらずにつかまった。それが強盗としてのその男に対する与太者たちの評価に影響しているのであった。看守だけが、「――つまらんこ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・むこうから一台、ワイシャツの前にネクタイをたらし、カンカン帽の運転手に運転された電車が来た。 私の乗っているバスの俄車掌は、停留所が近くなると、長い体を折って一々前方をすかして見ては、「次は××町でございます。お降りの方はございませ・・・ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
・・・すると、赤っぽい上着に、ワイシャツ、長ズボンといういでたちのサーシャは勿体ぶって眉根をよせ、「この児が僕の云うことを聞かないと困るがね」 祖父はゴーリキイの頭へ手をかけて、首を下げさせた。「サーシャの云うことを聞くんだ。お前より・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫