・・・七 北京大学の季大釧、季石曾などの運動が、上海に於ける陳独秀等の参加によって更に四方に及んだというのも、必ずしも或る人の云うが如くワシントン会議に於て米国が支那を助けなかった反動であるとばかりに考えるのは間違っている。この運動に・・・ 小川未明 「反キリスト教運動」
・・・その人生における職分が政治、科学、実業、芸術のいずれの方面に向かおうとも、彼の伝記が書かれるときには、あのワシントンのそれのように、小学校の教科書には「彼は偉大にして、善き人間なりき」と書かれるようにありたいものである。自分如きも、青春期、・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・二十余年前にワシントン府の青葉の町を遊覧自動車で乗り回したことがあった。とある赤煉瓦の恐ろしく殺風景な建物の前に来たとき、案内者が「世界第一の煉瓦建築であります」と説明した。いかなる点が第一だかわからなかったが、とにかくアメリカは「俳諧のな・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・ 電車の中でも人はチューインガムを噛んでいた。そうして電車の床の上へ平気で唾を吐いていた。ヨーロッパでは見たことのない現象である。 ワシントンで生れて始めての「暑さの波」に襲われた。これについては前に書いたことがあるから略する。ワシ・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・ニューヨークの宿へ荷物をあずけて冬服のままでワシントンへ出かけた時には春のような気候であった。華府を根拠にしてマウント・ウェザーの気象台などを見物して、帰ってくると非常な暑さで道路のアスファルトは飴のようになり、馬が何頭倒れたといううわさで・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・その子供の話によると、「ワシントン」という靴屋を間違えて「ナポレオン」と云った友達がいるそうである。しかし雀と鴨では少し大きさが違い過ぎると云って笑った。雀の宮は日光の近くにあったのである。 小田原ではバスが待っていたが、箱根町行は満員・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・太閤様と正成とどっちが偉いとか、ワシントンとナポレオンとどっちが強いとか、常陸山と弁慶と相撲を取ったらどっちが勝つとか、中には返答に困らないのもあるが、多くは挨拶に窮する問題である。要するに複雑な内容を纏め得る程度以上に纏めた簡略な形式にし・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・ 小説の冒頭には、ワシントン百年祭当日、アメリカの共産党によって指導された民衆の、中国から手をひけ、ソヴェト同盟を守れ、とスローガンをかかげた大衆的示威運動の光景が描かれ、チャーリー中野もそれに参加したと紹介されている。ニューヨークの反・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・夜 ワシントンで一時間とまったのでうちへ葉書を書く。 二十日 New オルレアンス着、黒人、綿。七時発。立つとき、金を貰いに来た男が、拒まれて、何かすて科白を云う。 二十二日 メキシコ アリゾナ 二十三日 L. A. 着・・・ 宮本百合子 「「黄銅時代」創作メモ」
・・・ 二十二日 Washington Birthday 一宮氏のところへ行ってかえりに S. C. によって、Aの帰って来たのに送られて Whittier にかえる。 二十三日 日曜日。一宮家から吉田さんの at home day ・・・ 宮本百合子 「「黄銅時代」創作メモ」
出典:青空文庫