・・・たゞ、自分の理想に生きるということ、正義のために戦わなければならぬということ、そして、要するに、人間は、いかなる職業にあっても、その心がけが、社会のためにつくすという一事に於て、全的生涯が完うされるものだということを感じているのであります。・・・ 小川未明 「机前に空しく過ぐ」
・・・ 一事が万事、丁稚奉公は義理にも辛くないとは言えなかったが、しかしはじめての盆に宿下りしてみると、実家はその二三日前に笠屋町から上ノ宮町の方へ移っていました。上宮中学の、蔵鷺庵という寺の真向いの路地の二軒目。そして、そこにはもう玉子はい・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・が、これとても十分な書き方ではなく、一事が万事、大阪弁ほど文章に書きにくい言葉はないのだ。 大阪弁が一人前に、判り易く、しかも紋切型に陥らずに書ければ、もうそれだけでも大した作家で逆に言えば、相当な腕を持っている作家でなくては、大阪弁が・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・自分もチョークで画くなど思いもつかんことであるから、画の善悪はともかく、先ずこの一事で自分は驚いてしまった。その上ならず、馬の頭と髭髯面を被う堂々たるコロンブスの肖像とは、一見まるで比べ者にならんのである。かつ鉛筆の色はどんなに巧みに書いて・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・けれども、桂正作の父の気象はこの一事でも解っている。小松山の麓に移ってこの方は、純粋の百姓になって正作の父は働いているのを僕はしばしば見た。 であるから正作が西国立志編を読み初めたころは、その家政はよほど困難であったに違いない。けれども・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・日蓮のこの道善への弟子としての礼と情愛とは世にも美しいものであり、この一事あるによって私は日蓮をいかばかり敬愛するかしれない。凡庸の師をも本師道善房といって、「表にはかたきの如くにくみ給うた」師を身延隠栖の後まで一生涯うやまい慕うた。父母の・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・この一事にも、おのずから戦争に対する態度と心持が伺われるような気がする。 このほか、徳田秋声、広津柳浪、小栗風葉、三島霜川、泉鏡花、川上眉山、江見水蔭、小杉天外、饗庭篁村、松居松葉、須藤南翠、村井弦斎、戸川残花、遅塚麗水、福地桜痴等は日・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・この変っていないという一事こそ、真に驚嘆、敬服に価すべきものではないか。進歩していない、というと悪く聞えますが、退歩していないと言い直したらどうでしょう。退歩しないという事は、之はよほどの事なのです。 修業という事は、天才に到る方法では・・・ 太宰治 「炎天汗談」
・・・という一事であった。馬鹿な男ではないか。一点にごらぬ清らかの生活を営み、友にも厚き好学の青年、創作に於いては秀抜の技量を有し、その日その日の暮しに困らぬほどの財産さえあったのに、サラリイマンを尊び、あこがれ、ついには恐れて、おのが知れる限り・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・この一事もやはり春信以前の名匠の絵で最もよく代表されるように思う。この裾の複雑さによって絵のすわりがよくなり安定な感じを与える事はもちろんである。 裾の線は時に補景として描かれた幕のようなものや、樹枝や岩組みなどの線に反響している事があ・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
出典:青空文庫