・・・その上壻の身になれば、ああでも云わぬと、一人娘は、容易にくれまいと思ったかも知れぬ。お婆さん、お前はどうしたと云うのだ。こんな目出たい婚礼に、泣いてばかりいてはすまないじゃないか?」「お爺さん。お前さんこそ泣いている癖に……」 ・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・ その吉助が十八九の時、三郎治の一人娘の兼と云う女に懸想をした。兼は勿論この下男の恋慕の心などは顧みなかった。のみならず人の悪い朋輩は、早くもそれに気がつくと、いよいよ彼を嘲弄した。吉助は愚物ながら、悶々の情に堪えなかったものと見えて、・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・するとここにまた思いもよらない不思議が起ったと申しますのは、春日の御社に仕えて居りますある禰宜の一人娘で、とって九つになりますのが、その後十日と経たない中に、ある夜母の膝を枕にしてうとうとと致して居りますと、天から一匹の黒竜が雲のように降っ・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・が、間もなく小隊長は右隣の退職官吏の一人娘の一枝に送られて帰って来た。この町で自転車に乗れるたった一人の娘である一枝の自転車のうしろに乗って遠乗りに行っていたのだと判ると、照井は毛虫を噛んだような顔で、「女だてらに自転車に乗るなんてけし・・・ 織田作之助 「電報」
登勢は一人娘である。弟や妹のないのが寂しく、生んでくださいとせがんでも、そのたび母の耳を赧くさせながら、何年かたち十四歳に母は五十一で思いがけず姙った。母はまた赧くなり、そして女の子を生んだがその代り母はとられた。すぐ乳母を雇い入れた・・・ 織田作之助 「螢」
・・・そう、そう、私共のス、あの宝石の光り輝く市の王様の、たった一人娘のスを! けれども、其那工合には行きません。それは出来ないことでした。真個にそれ等の事も出来ないと云うのではありませんが、スは、水の世界パタルプールの宮殿へ生れないで、バニカン・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・ 私は、まずしい下駄屋の、それも一人娘でございます。ゆうべ、お台所に坐って、ねぎを切っていたら、うらの原っぱで、ねえちゃん! と泣きかけて呼ぶ子供の声があわれに聞えて来ましたが、私は、ふっと手を休めて考えました。私にも、あんなに慕って泣・・・ 太宰治 「燈籠」
・・・実に、悪い醜い婆さんでありましたが、一人娘のラプンツェルにだけは優しく、毎日、金の櫛で髪をすいてやって可愛がっていました。ラプンツェルは、美しい子でした。そうして、たいへん活溌な子でした。十四になったら、もう、婆さんの言う事をきかなくなりま・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・「相手が地主の一人娘じゃねえか」 息子は、分別深く話した。「地主はスッカリ怒っていて、小作の田畑を全部とりあげると云うんだ。俺ァはァ、一生懸命詫びたがどうしてもきかねえ、それであの支配人の黒田さんに泣きついて、一緒に詫びて貰った・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・ こんなうちとけた手紙をよこした御まきさんと云う人は京は嵐山の傍は春の夢のように美くしいところに今年十六の一人娘とおだやかに不自由なく暮している人だ。生れは雪深い越後、雪国に美人が多いと云うためしにもれず若い時は何小町と云われたほどその・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
出典:青空文庫