・・・……どっちだかそれは解らんが、とにかく相互の熱情熱愛に人畜の差別を撥無して、渾然として一如となる、」とあるはこの瞬間の心持をいったもんだ。 この犬が或る日、二葉亭が出勤した留守中、お客が来て格子を排けた途端に飛出し、何処へか逃げてしまっ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・今は誰の眼からも隠れてしまった――今は巨大な闇と一如になってしまった――それがこの感情なのだろうか。 私はながい間ある山間の療養地に暮らしていた。私はそこで闇を愛することを覚えた。昼間は金毛の兎が遊んでいるように見える谿向こうの枯萱山が・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・死に面しては、貴賎・貧富も、善悪・邪正も、知恵・賢不肖も、平等一如である。なにものの知恵も、のがれえぬ。なにものの威力も、抗することはできぬ。もしどうにかしてそれをのがれよう、それに抗しようと、くわだてる者があれば、それは、ひっきょう痴愚の・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・人間の死は科学の理論を俟つまでもなく、実に平凡なる事実、時々刻々の眼前の事実、何人も争う可らざる事実ではない歟、死の来るのは一個の例外を許さない、死に面しては貴賎・貧富も善悪・邪正も知愚・賢不肖も平等一如である、何者の知恵も遁がれ得ぬ、何者・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・我々は抽象的意識的自己を否定した所、身心一如なる所に、真の自己を把握するのである。今や我々はかかる真の実践的自己、身心一如的自己の自覚の立場から、従来の哲学を考え直して見なければならない。私が再びデカルトの立場へと主張する所以である。しかし・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・パリへ行ってきたことまでもある彼女は、「仏教と文芸はむしろ一如相即のものである」ことを主張し、たとえば「愚人食塩喩。塩で味をつけたうまい料理をよそで御馳走になった愚人がうちへ帰って塩ばかりなめてみたらまずかった」というような前書で、それを形・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
出典:青空文庫