・・・ただ一心に我が親と思い、余念なく孝行をつくすべし。三年父母の懐をまぬかれず、ゆえに三年の喪をつとむるなどは、勘定ずくの差引にて、あまり薄情にはあらずや。 世間にて、子の孝ならざるをとがめて、父母の慈ならざるを罪する者、稀なり。人の父母た・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・佐太郎はびくっとしましたけれども、まだ一心に水を見ていました。「魚さっぱり浮かばないな。」ぺ吉がまた向こうの木の下で言いました。するともう、みんなはがやがやと言い出して、みんな水に飛び込んでしまいました。 佐太郎はしばらくきまり悪そ・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・と狐は一心に頭の隅のとこで考えながら夢のように走っていました。 向うに小さな赤剥げの丘がありました。狐はその下の円い穴にはいろうとしてくるっと一つまわりました。それから首を低くしていきなり中へ飛び込もうとして後あしをちらっとあげたときも・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
・・・すっかり覚悟がきまりましたので目をつぶって痛いのをじっとこらえ、またその人を毒にあてないようにいきをこらして一心に皮をはがれながらくやしいというこころさえ起しませんでした。猟師はまもなく皮をはいで行ってしまいました。竜はいまは皮・・・ 宮沢賢治 「手紙 一」
・・・さっきから一心に跡けて来た巨きな、蟇の形の足あとはなるほどずうっと大学士の足もとまでつづいていてそれから先ももっと続くらしかったがも一つ、どうだ、大学士の銀座でこさえた長靴のあともぞろっとついていた。「こ・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・その問題は、それらの純朴な村の娘たちが一心に精密加工をする作業場を村営とするか、個人に対して多すぎる分は村へ寄附すればよいと解決されたのであった。 この間の消息を詳細に眺めると、やはりそこには無量の感慨を誘うものが横わっている。作業場の・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・私はきっと梢の見えるところまで出かけ、空を眺め、風に吹かれ、痛快なおどろきとこわさを一心に吸い込もうとする。今日も、椽側の硝子をすかし、眼を細くして外界の荒れを見物しているうちに、ふと、子供の時のことを思い出した。 ・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
光ちゃんのお父さん小野宮吉さんは、お亡りになったから、この写真にうつることは出来ません。けれども、鑑子さんは母として音楽家として生活と芸術とのために実に勤勉に一心に毎日を暮し、光ちゃんも益々いい少女として成長している一家の・・・ 宮本百合子 「いい家庭の又の姿」
・・・目をねむッて気を落ちつけ、一心に陀羅尼経を読もうとしても、脳の中には感じがない。「有にあらず。無にあらず、動にあらず、静にあらず、赤にあらず、白にあらず……」その句も忍藻の身に似ている。 人の顔さえ傍に見えれば母はそれと相談したくなる。・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・またその市街の底で静っている銅貨の力学的な体積は、それを中心に拡がっている街々の壮大な円錐の傾斜線を一心に支えている釘のように見え始めた。「そうだ。その釘を引き抜いて!」 彼はばらばらに砕けて横たわっている市街の幻想を感じると満足し・・・ 横光利一 「街の底」
出典:青空文庫