・・・と打棄ったように忌々しげに呟いて、頬冠を取って苦笑をした、船頭は年紀六十ばかり、痩せて目鼻に廉はあるが、一癖も、二癖も、額、眦、口許の皺に隠れてしおらしい、胡麻塩の兀頭、見るから仏になってるのは佃町のはずれに独住居の、七兵衛という親仁である・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 頭髪あたかも銀のごとく、額兀げて、髯まだらに、いと厳めしき面構の一癖あるべく見えけるが、のぶとき声にてお通を呵り、「夜夜中あてこともねえ駄目なこッた、断念さっせい。三原伝内が眼張ってれば、びくともさせるこっちゃあねえ。眼を眩まそうとっ・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・総領は児供の時から胆略があって、草深い田舎で田の草を取って老朽ちる器でなかったから、これも早くから一癖あった季の弟の米三郎と二人して江戸へ乗出し、小石川は伝通院前の伊勢長といえばその頃の山の手切っての名代の質商伊勢屋長兵衛方へ奉公した。この・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・何の必要もないのにそういう世帯の繰廻しを誰にでも吹聴するのが沼南の一癖であった。その後沼南昵近のものに訊くと、なるほど、抵当に入ってるのはホントウだが、これを抵当に取った債権者というは岳父であったそうだ。 これも或る時、ドウいう咄の連続・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・これは近藤といって岡本がこの部屋に入って来て後も一言を発しないで、唯だウイスキーと首引をしていた背の高い、一癖あるべき顔構をした男である。「ねエ岡本君!」と言い足した。岡本はただ、黙言て首肯いたばかりであった。「詩人? そうサ、僕は・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 色の浅黒い、眼に剣のある、一見して一癖あるべき面魂というのが母の人相。背は自分と異ってすらりと高い方。言葉に力がある。 この母の前へ出ると自分の妻などはみじめな者。妻の一言いう中に母は三言五言いう。妻はもじもじしながらいう。母は号・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・桶屋は黒い痘痕のある一癖ありそうな男である。手ぬぐい地の肌着から黒い胸毛を現わしてたくましい腕に木槌をふるうている。槌の音が向こうの丘に反響して静かな村里に響き渡る。稲田には強烈な日光がまぶしいようにさして、田んぼは暑さに眠・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・純文学の行き詰りが感じられ、私小説からの脱出が望まれているのは前年来のことであるが、その脱出の方法が一癖も二癖もあり、云って見れば、社会悪を背負って尻を捲って居直った姿で小説などに現れて来たのである。 一方でヒューマニズムが抽象論になっ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・すると参籠人が丸亀で一癖ありげな、他所者の若い僧を見たと云う話をした。宇平はもう敵を見附けたような気になって、亥の刻に山を下った。丸亀に帰って、文吉を松尾から呼んで僧を見させたが、それは別人であった。 伊予国の銅山は諸国の悪者の集まる所・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫