・・・木細工、絵草紙、メンコ、びいどろのおはじき、花火、河豚の提灯、奥州斎川孫太郎虫、扇子、暦、らんちゅう、花緒、風鈴……さまざまな色彩とさまざまな形がアセチリン瓦斯やランプの光の中にごちゃごちゃと、しかし一種の秩序を保って並んでいる風景は、田舎・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・自分は一種の感動から、こう心に叫んだのだった。彼はあの作の動機に好意を持っていてくれてる。モグラモチのように蠢きながらも生きて行かねばならぬ、罪業の重さに打わなきながらも明るみを求めて自棄してはならぬ――こういった彼の心持の真実は自分にもよ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
猫の耳というものはまことに可笑しなものである。薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛が生えていて、裏はピカピカしている。硬いような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。私は子供のときから、・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・ 別に変わった文句ではありませんが、『ベツレヘム』という言葉に一種の力がこもっていて、私の心にかつてないものを感じさせました。 会堂に着くと、入口の所へ毛布を丸めて投げ出して、木村の後ろについて内に入ると、まず花やかな煌々としたラン・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・ 社会主義の倫理観は一種の社会的幸福主義である。そして経済条件をその幸福の基礎とする点において、物的福利を重んずる。それが実質的、現実的、社会的であってカントの倫理学の形式主義、先験主義、自律主義に不満なのはもとよりそのところである。・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ワーシカは、一種の緊張から、胸がドキドキした。「待て!」 彼れは、小屋のかげから着剣した銃を持って踊りでた。 若者は立止った。そして、「何でがすか? タワリシチ!」 馴れ馴れしい言葉をかけた。倶楽部で顔見知りの男が二人い・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・そこで歳こそ往かないが源三もなんとなく心淋しいような感じがするので、川の側の岩の上にしばし休んで、どうとうと流れる水のありさまを見ながら、名づけようを知らぬ一種の想念に心を満たしていた。そうするといずくからともなく人声が聞えるようなので、も・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・死の事大ということは、太古より知恵ある人がたてた一種のカカシである。地獄・極楽の蓑笠つけて、愛着・妄執の弓矢をはなさぬ姿は、はなはだものものしげである。漫然と遠くからこれをのぞめば、まことに意味ありげであるが、近づいて仔細にこれを見れば、な・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 何となく寂びれて来た矢場の中には、古城に満ち溢れた荒廃の気と、鳴を潜めたような松林の静かさとに加えて、そこにも一種の沈黙が支配していた。皮の剥げたほど古い欅の若葉を通して、浅間一帯の大きな傾斜が五月の空に横わるのも見えた。矢場の後にあ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・つまりぐずぐずとして一種の因襲力に引きずられて行く。これを考えると、自分らの実行生活が有している最後の筌蹄は、ただ一語、「諦め」ということに過ぎない。その諦めもほんの上っ面のもので、衷心に存する不平や疑惑を拭い去る力のあるものではない。しか・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
出典:青空文庫